月々のことば(法話)

2023年10月

隣の客はよく柿食う客だ

早口言葉として一度は目にしたことのあるポピュラーな言葉ではないでしょうか。

子供の時に言葉遊びとしてよく口にしていましたが、よく考えてみますと可笑しな場面が目に浮かんできます。

どこかのお店の飲食スペースで、隣のテーブル、または近くのテーブルに座って私が「隣の客はよく柿を食べる客だな」と他の人をジロジロ見ているということになります。

その私が「よく柿食う客だ」というには、何かと比較しなければその様には言えません。

では何と比較しているのか、それは「私」ではないでしょうか。

何事も無意識に人と比べ合いながら生きているのが私たちです。

SNSや学校、職場、様々な場所で「私」と比べて「あの人は」「周りは」と、ついつい比べあいをしてしまい「思い通りにならない自分」に悩み、苦しんでしまいます。

ありのままの自分を、自分自身が受け入れるということが難しくなってきている様にも思います。

情報に溢れ、時間に追われながら、慌ただしい社会を生きている私たち。

誰かと比べあう、ともすれば、いのちそのものを比べあう中に、自分の価値や幸せを見出そうとしているのが私たちです。

その様な私たちを阿弥陀仏は「全ての生きとし生けるものは皆平等であり、命に優劣などない」とご覧くださいました。

どこに居ようとも、どの様な私であったとしても「決して見捨てはしない、必ず救う」と私たち一人ひとりのいのちを大切だと見て下さる、尊い阿弥陀仏のまなざしです。

阿弥陀仏のまなざしの中に、本当の幸せとは比べあいの中にあるのではないと気づかせて頂きます。

本願寺派布教使 工藤恭修

一覧に戻る