『大寒の 大々とした 月よかな』
出典:小林一茶
日本には春夏秋冬という四季があります。四季をさらに二十四の季節に分け、より細かく表現した名称の一つが1月20日の「大寒」です。
一年で最も寒い日、最低気温が記録されるのも大寒の時期が多いようです。冬は空気が乾燥し、澄んでいるため星や月がいつもよりくっきりと見えます。体が震えるような寒い夜道を歩きながら夜空に浮かぶ月をながめ、自分を優しく照らしてくれる月の明かりを体いっぱいに浴びながら小林一茶はこの俳句を詠んだのでありましょう。
親鸞聖人のお師匠さまである浄土宗の法然聖人が月を題材にこのような短歌を詠まれました。
月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ
法然聖人
月の光というものは平等に誰の上にでも降り注いでいます。昔は今と違って夜が真っ暗だったので、日中の太陽の光より闇夜に降り注ぐ月の光がより印象深いものだったのでしょう。しかしどれだけ美しく輝く月であったとしても、どこにいても隔てなく照らす月であったとしても、その月を眺めることが無ければ月の美しさが胸に染み入ることはありません。
ここでいう「月影」は阿弥陀如来の一切の生きとし生けるものを照らしてくださるお慈悲の光のことを表します。その光に背を向け、眺めることもなければ胸に染み入ることはありません。阿弥陀如来のお慈悲の光は私から求めていくのではありません。もうここに届けられているお慈悲を聞くのです。
小林一茶は浄土真宗の流れをくむご家庭に生まれ、一茶自身も浄土真宗のみ教えを大変喜んでいたと伝えられています。もしかすると冒頭の「大々とした月よかな」と詠んだ背景には、法然聖人の月影の歌を思い返し、大寒の夜に月を眺めて読まれた俳句なのかもしれません。
寒い日が続きますが、皆様も夜空の月を見上げながら阿弥陀さまのお慈悲の光を重ね合わせるひと時を過ごされてみてはいかがでしょうか。
本願寺派布教使 津守秀憲