月々のことば(法話)

2024年4月

『明日ありと 思う心の 仇桜あだざくら 夜半に嵐の 吹かぬものかは』

 こちら大谷本廟は浄土真宗をお開きくださった親鸞聖人のお墓です。浄土真宗のみ教えをいただくものにとって、こちら大谷本廟に納骨することは、親鸞聖人とご一緒させていただく尊いこととして大切に護られてきました。

 親鸞聖人は1173年、平安時代の末期にお生まれくださいました。聖人がお生まれになられた時代は天災や飢饉に見舞われた大変な時代でありました。そのような時代のなか、聖人9歳の春、京都の青蓮院で出家され仏道修行に歩みだされました。その際、出家の戒帰をつとめていただいたのが、後に天台座主を四度務めることになる慈鎮和尚というお方でした。聖人が青蓮院に着く頃には、日が暮れて既に辺りは暗くなっていました。そこで慈鎮和尚は、時を改めてその儀を執り行うことをご提案なされたのです。しかし聖人はそれを潔しとせず「仏教では無常というではありませんか、無常を生きる命に明日の保障がどこにありましょうか。ぜひとも、ただ今より執り行ってくださいませ」と懇願なされたのです。このような聖人の真剣な思いに心打たれた慈鎮和尚は、その日の晩、望み通り出家の儀を執り行うことを許されたのでした。その時、聖人は出家の志を一つの歌でもってお伝えになられたといわれています。それが冒頭にある

明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは

でした。今は満開の桜も、夜中にもし嵐が吹いたならば、散ってしまうかもしれない。それは自らの命も同じである。散りゆく桜の様相と自らの命の無常さを詠いあげた見事な歌でした。

  わずか9歳の少年が自らの志を詠みあげたこの歌は歌の名手でもあった慈鎮和尚をも驚かせたと今も語り継がれています。さあ、あらためて親鸞聖人の詠まれた歌を読み返してみてください。何気ない日々の出来事の意味が大きく変わってくるのではないでしょうか。

本願寺派布教使 朝山大俊

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