『やまない雨はないとかではない いま降ってるこの雨が耐えられない』
出典:GADORO『ラッパーなのに』
「お浄土でまた会えるとかではないんです。いま、息子に会いたい。」
本願寺にお参りに来られていた、あるご門徒さまのお言葉です。一緒に法話をお聴聞していた時のこと。お参りが終わるなり、その方が私に話しかけてくださいました。
「2年前に仕事へ行ったきり、息子は帰って来なかったんです。最後に交わした言葉は“いってらっしゃい“でした。会社から急に倒れたと電話があって、それっきりだったんです。朝まで普通に過ごしていたのに、本当に急で. . . 。
“やまない雨はない“とは言いますが、いま降っている雨をどうにかしてほしい。いつか悲しみが薄まるとか、お浄土でまた会えるとかではないんです。いま、息子に会いたい。そう思っていました。
でも今日の法話の中で、『お浄土に往った人は行きっぱなしではなく、こちらに還ってきて、いま私を導き、支えてくれる』と聞きました。きっと息子が伝えたかったことを、お坊さんが代わりに話してくださったんですね。
“いま会いたい”という思いがなくなることはないとは思います。でも今日の法話が聞けて、この一年は生きていけそうな気がします。」
うつむき、そのときの様子を思い返しながら、一言一言丁寧に話してくださいました。また時折り、あふれる涙をしずかにぬぐう様子から、より一層深い悲しみ、“いま降っている雨”が窺えます。しかし、その悲しみの深さの中にも、大きな支えに出遇うよろこびがあるということを、ご門徒さまの姿を通して教えていただきました。
阿弥陀様は、私たちが命終えるとき、私たちを「お浄土に生まれさせ、仏と成らせてくださる」仏様です。仏様と成ったものは、お浄土にとどまることなく、今度はこちらの世界へ還ってきて、遺された者を根底から支えてくださる。そして阿弥陀様の前へと導くはたらきをすると聞かせていただきます。
仏様は、この私がどんな心持ちであっても、どれほど心に雨が降ろうとも、いつでも“ここにいるよ”と、はたらいてくださいます。仏様がここにいてくださるからこそ、私たちは仏事の際や、ふと先立つ方を思い出した時に手を合わせ、仏様のお心に触れさせていただくことができます。
「この一年は生きていけそうです」と語ってくださったお言葉。“ここにいるよ”と聞かせていただいていたとしても、決して悲しみがなくなるわけじゃない。涙が止まるわけではない。“降りやまない雨の中“ではあるけれども、阿弥陀様、そしてお浄土の仏様と成られた大切なお方が、この人生の支えとなってくださり、大きな安心の中で右往左往しながら、お浄土への道を歩ませていただけるのです。
本願寺派布教使 渡辺有