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	<title>月々のことば（法話） | 大谷本廟【西大谷】</title>
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	<description>大谷本廟は宗祖親鸞聖人のご廟所（墓所）であり、全国の門信徒がご遺骨をお納めするところでもあります。西大谷とも呼ばれています。大谷本廟は、納骨・永代経・墓参などをご縁として、おみのりを聴聞する場であります。</description>
	<lastBuildDate>Thu, 24 Sep 2026 01:18:15 +0000</lastBuildDate>
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		<title>『「まかせよ まかせよ」如来の声 「おまかせします」私の声』</title>
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		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 24 Sep 2026 01:18:14 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　近くのお寺の掲示板に書かれていた、この言葉が目にとまりました。後ほど調べてみると、47歳でご往生された真宗大谷派のお寺の坊守さま、鈴木章子さんが「南無阿弥陀仏」のお念仏のこころを味わってくださった言葉でした。 　「南無 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　近くのお寺の掲示板に書かれていた、この言葉が目にとまりました。後ほど調べてみると、47歳でご往生された真宗大谷派のお寺の坊守さま、鈴木章子さんが「南無阿弥陀仏」のお念仏のこころを味わってくださった言葉でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　「南無阿弥陀仏」と称えれば、「南無阿弥陀仏」と聞こえてきますね。お念仏は、私が阿弥陀如来をお呼びする声であると同時に、阿弥陀如来が私に<ruby>喚<rp>(</rp><rt>よ</rt><rp>)</rp></ruby>びかけてくださっている声でもあると、親鸞聖人はお示しくださいました。では、どのように喚びかけておられるのか。一言で言えば、「まかせよ、まかせよ」と喚びかけてくださっています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　「私にまかせなさい。命の往く先、私にまかせなさい。生涯、あなたのことを抱きつづけて、支えつづける。どのように命を生きようと、どのように命を終えようと、生き様も死に際も問わない。命を終えるとき、私が必ず、苦しみのない安らかなお浄土に、あなたを生まれさせるから、私に安心して身をまかせなさい」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　その阿弥陀さまの喚びかけに、私たちはただただ、「おまかせします」と応える心持ちでお念仏を称えるのだと、この言葉は味わってくださっているのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　この掲示板の言葉を私が見たのは、そのお寺のご住職さまのお葬儀の日のことでした。ご住職さまは、ふっくらとしたお方だったのですが、訃報を聞いてお悔やみに駆けつけ、白いお布団に横になられたお顔を拝見すると、頬がこけるほど痩せておられました。お葬儀のお勤めの後、喪主挨拶の折に、ご往生されるまでの経緯をお話しくださいました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　「ご多用の中、父のお葬儀にお参りくださり、誠にありがとうございました。昨年から体の不調が続いておりまして、病院で検査をしていただくと、末期の膵臓癌だということがわかりました。父は抗癌剤の治療に前向きでしたが、効果があらわれず、途中から緩和ケアに移行しました。病院で過ごすよりも、自宅で家族と一緒に過ごしたい。ご門徒さまとの時間を大切にしたいと、最後まで自宅で、お寺で、過ごさせていただきました」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　「先月のお寺の<ruby>定例法座<rp>(</rp><rt>じょうれいほうざ</rt><rp>)</rp></ruby>で、『今、味わっているお念仏のこころを、ご門徒の皆さまにお伝えしたい』と、無理を押して最後のご法話をしてくれました。父よりも先にお浄土に往生されたご門徒さまのことを懐かしそうにお話しした後で、覚如上人の『<ruby>執持鈔<rp>(</rp><rt>しゅうじしょう</rt><rp>)</rp></ruby>』の次のお言葉を、大切に味わってくれました。『<ruby>往生<rp>(</rp><rt>おうじょう</rt><rp>)</rp></ruby>ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず。ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし』という言葉です。……」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　上記の掲示板の言葉を選ばれたのは、ご住職さまご本人だったと後でお聞きしました。癌が進行し、だんだんと自分で自分を支えることすら難しくなってくる。その私を、阿弥陀さまが今もここで、抱きかかえ、お支えくださっている。そして「私にまかせなさい。あなたも必ず浄土に生まれさせる。安心なさい」と喚びかけてくださっている。お念仏の先輩の鈴木章子さんがそうであったように、お念仏を称え、お念仏を聞きながら、安心の中で、最後の日々を過ごされていたのではないかと、思いが巡りました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　遺された私たちも、いずれ必ず、今度は自分が命を終えるときを迎えなければなりません。その私に、阿弥陀さまは「私にまかせなさい。命の往く先、私にまかせなさい。同じお浄土に、あなたも必ず生まれさせるから、私に安心して身をまかせなさい」と喚びかけてくださっています。私たちも「はい、おまかせいたします」との思いで、お念仏を称えさせていただきましょう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">本願寺派布教使　<ruby>若林<rp>(</rp><rt>わかばやし</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>唯人<rp>(</rp><rt>ただと</rt><rp>)</rp></ruby></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
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		<title>『忌心に叶ふ赤さや曼珠沙華』</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5480/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 26 Aug 2026 04:01:49 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　冒頭の俳句は俳人である稲畑廣太郎さんが詠まれたものです。「忌心」とは「いみごころ」と読み、不吉なもの、死をいまわしく思い遠ざける心の事です。それにかなうほどの赤さの曼珠沙華という意味の句です。曼珠沙華とは秋に咲く彼岸花 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　冒頭の俳句は俳人である稲畑廣太郎さんが詠まれたものです。「忌心」とは「いみごころ」と読み、不吉なもの、死をいまわしく思い遠ざける心の事です。それにかなうほどの赤さの曼珠沙華という意味の句です。曼珠沙華とは秋に咲く彼岸花の別称です。彼岸花は球根に強い毒性があり、不吉なイメージがあるとされてきました。そんな彼岸花が赤く咲いている様に死を忌み嫌う心を重ねて詠んでおられます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　確かに、死というのは怖いものであり、悲しいものでもあります。例えば、大切な方との別れを経験した時、何とも悲しく、やりきれない気持ちになります。そんな死を遠ざけたいと思う気持ちは人間の心情としては当然の事なのかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　では、浄土真宗ではその死というものをどんな風に受け止めるのでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　今月は九月、秋彼岸の月です。秋分の日という、太陽が真東から昇り、真西に沈んでいく、この日を中日とした前後三日間を合わせた七日間の事を秋彼岸と言います。「彼岸」とは、浄土真宗では阿弥陀様の浄土を意味します。阿弥陀様とは西の彼方に、浄土という悟りの世界を造られ、全ての命ある者を浄土に生まれさせるとおはたらきくださる仏様です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　浄土真宗の教えを大事にされた先人方は、お彼岸の時期に、西に沈みゆく太陽、夕焼けを見て、そこに阿弥陀様の浄土を重ねられました。そして、「亡き人は、死んでいく事を通じて、命のあり様と往く先、阿弥陀様の浄土を教えてくださったのだ。」そんな風に先立ってゆかれた方の事を偲ばれ、自分も浄土に参らせていただくのだと自身の命の往く先も見つめてこられたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　私はお彼岸の時期、先輩から教えられた事を思い出します。その先輩は、ある年におじいさまとおばあさまを続けて亡くされました。そんな中でお寺の門信徒の皆様に「昨年、祖父と祖母が続けてこの世の命を終えていきました。浄土真宗では、二人の死は忌むべきものでなく、阿弥陀様の浄土を教えてくださったのだと祖父、祖母の事を<ruby>尊<rp>(</rp><rt>とうと</rt><rp>)</rp></ruby>ばせていただきたいと思います。」この様な文面の挨拶状を出されたそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　大切な方との別れを経験する中で、亡き人は浄土を教えてくださったと<ruby>尊<rp>(</rp><rt>とうと</rt><rp>)</rp></ruby>んでいけるのが浄土真宗であった、この話を聞いて、大切な事を教えられた思いが致しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　阿弥陀様は、人間は生まれたら必ず死にゆかねばならない、そのような存在だからこそ、どうにかして救いたいと願いを起こされ、お浄土をお造りくださいました。そして、「あなたは死んでゆく命ではありません。別れゆく命ではありません。お浄土へと生まれゆく命を生きているのです」と、私達一人一人におはたらきくださっています。その事を亡き人は自分の身をもって教えてくださったのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　お互いに、お彼岸の時期には、大切な方を偲ばせていただきながら、西空の夕焼けに阿弥陀様の浄土を想っていきましょう。　</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　本願寺派布教使　<ruby>尺一<rp>(</rp><rt>さかくに</rt><rp>)</rp></ruby> <ruby>順<rp>(</rp><rt>じゅん</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>大<rp>(</rp><rt>だい</rt><rp>)</rp></ruby></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>『だれにえんりょがいるもんか 声をかぎりに泣くがいい ただひたすらに 泣けばいい』　</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5438/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Jul 2026 03:32:00 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　三十三年前、私の弟は、生後六ヶ月で病によって命終えていきました。その弟の遺骨は大谷本廟に納骨させていただいておりますが、弟が納骨されている場所で手を合わす時、父から聞かせてもらったこんな話を思い出します。 　弟の遺体を [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　三十三年前、私の弟は、生後六ヶ月で病によって命終えていきました。その弟の遺骨は大谷本廟に納骨させていただいておりますが、弟が納骨されている場所で手を合わす時、父から聞かせてもらったこんな話を思い出します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　弟の遺体を火葬した直後のこと、遺骨が入った小さな骨壷を父が抱えてみたら、その骨壷が人肌のように温かったといいます。高温で焼かれた遺骨の熱が、骨壷を通して手に伝わってきているだけ、頭ではそう理解していても、骨壷から感じるぬくもりが、まるで我が子を抱いているような思いにさせてくれて、本当は悲しいはずなのに、その時ばかりは嬉しさを感じたというのです。骨壷のぬくもりを我が子のぬくもりと感じるほどに、現実を受け止められない中、父にかけられたのは、近所の方や友人からの多くの励ましの言葉でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「辛いだろうけど、頑張って。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「あなたには守るべき家族がいるでしょ、だから気をしっかり持って。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「大丈夫。時間が解決するよ、顔を上げて。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　自分のことを心配してくれているからこその言葉であることは重々わかって、ありがたかったし、父自身も「頑張ろう、気をたしかに持とう、顔を上げよう」とも思ったけれど、できなかった。そうして悲しむことを否定することで、かえって悲しみが深まったというのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　私たちは、本当に悲しみが深い時、頑張れと言われても頑張れない時があります。そんな中、溢れ出る涙を押しとどめ、無理に顔をあげて生きていこうとすればするほど、悲しみの底に沈んでいってしまう。しかし、私たちは、頑張って平静を取り繕って、自分をごまかさなくてはいけないことが多いのかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そんな私たちに、「無理に涙を止めなくてもいい。泣きたかったら泣いてもいいよ」とおっしゃってくださるのが阿弥陀さまです。別れを受け入れられず、涙を流しながらしか生きていけない存在であることを見抜き、そのままに抱きとり、支え続けていくことのできる仏に成るという願いを起こされました。その願いを、ご修行の末に成就してくださって、願いの通りの仏さまと成られた阿弥陀さまが、「南無阿弥陀仏」の声となって、私たちの上にはたらいてくださっています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　父は、弟の葬儀の日から毎晩、骨壷を抱えながら涙を流したそうです。その涙を否定せず、受け止めてくださる阿弥陀さまがいつでもご一緒くださるから、我が子を失った悲しみの中でも人生を歩んでこられた、そんな父の話を、私は弟が納骨されている場所で思い出すのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　八月は多くの地域でお盆を迎えます。お墓やお仏壇の前で手を合わせる中で、先立たれた方を思い出して、涙が溢れてくることもあるでしょう。その悲しみを乗り越えていきなさいとはおっしゃらない、誰にも遠慮はいらないから声をかぎりに泣いてもいいよとおっしゃってくださる阿弥陀さまを依りどころに、人生を歩ませていただきましょう。</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">本願寺派布教使 <ruby>矢鳴<rp>(</rp><rt>やなる</rt><rp>)</rp></ruby> <ruby>峻基<rp>(</rp><rt>しゅんき</rt><rp>)</rp></ruby></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>『セミは、春と秋を知らない だから、夏も知らない』</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5379/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 28 Jun 2026 08:00:24 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　セミは長い地中生活を経て地上に現れますが、それからの寿命はわずか一週間ほどと言われます。夏を精一杯に生きるセミの姿について、中国の僧・曇鸞大師は、このような言葉を残されています。「セミは夏しか生きられないため、春や秋の [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　セミは長い地中生活を経て地上に現れますが、それからの寿命はわずか一週間ほどと言われます。夏を精一杯に生きるセミの姿について、中国の僧・曇鸞大師は、このような言葉を残されています。「セミは夏しか生きられないため、春や秋の存在を知らない。では、春や秋を知らない虫が、本当に『夏』という季節を知っているだろうか。夏以外の季節があることを知っている者（人間）だからこそ初めて、『セミは夏しか生きられない』と言えるのだ」と。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　これはセミの話でありましたが、私たちを振り返ってみるとどうでしょう。私たちもまた自分の生きてきた人生、見ている世界しかわかりません。そんな私たちに阿弥陀様は、「あなたが命終わったとき、苦しみのないお浄土という世界に生まれさせる」と私のもとに至り届き、はたらきつづけておられます。そのようにお聞かせいただいても、「そんなお浄土という世界が、本当にあるんですか？」と、つい思ってしまいます。きっと夏しか生きることができないセミに「あなたが命終わった後には、あの緑の葉っぱが黄色く赤く染まる、秋という季節がやってくるんです。」と伝えても、「私が見たことのないそんな世界が本当にあるんですか？」と私たちと同じように思うのではないかと想像します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　また、仏教では、「人生は苦である。人生は思い通りにならない。」とも説かれます。それを聞くと私たちは、「人生って苦しみばかりではない。楽しいこともあるよ。」とついつい言いたくなってしまいます。しかし、楽しいこともいつか終わりがやってきます。楽しい場所や関係を維持するために、他の人に嫌われたくないために、時には自分を守るために他者を傷つけ、誰にも言えない苦しみ、悩み、秘密、悲しみを心の奥底に押しとどめ、精一杯生きている。思い通りにならないのが私たちの人生であり、私たちのあり様だと、仏様は見通されたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　限りなき命の仏様である阿弥陀様は、苦しみ多く、限りある命を生きる私たちのすべてをご覧になり、「苦しみや悩みを抱えて生きるあなただからこそ、救わずにはいられないんだよ」と、苦しみのない安らかなお浄土を建立されました。そして今「南無阿弥陀仏」という声となって、この身体にひびき、「必ずお浄土に生まれさせるから、安心なさい」と<ruby>喚<rp>(</rp><rt>よ</rt><rp>)</rp></ruby>びかけ続け、常に私とご一緒くださるのが阿弥陀様です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　私の常識を横に置き、阿弥陀様のお喚び声を「真実」と聞き受けるとき、開かれる世界があります。「私は、むなしく命を終えていくのではない。懐かしいあの人たちが先に生まれていかれた同じお浄土に、私もまた阿弥陀様に抱かれて生まれさせていただくのだ。苦しみ多き人生であったが、お浄土に生まれゆく命であったということを、聞かせていただくための人生だったのだ。」と、来世と現世に深く充実した意味が与えられるのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　これからの暑い夏に、セミの鳴き声が聞こえてきたら、ご一緒にお念仏を称えませんか。そのお念仏の声を聞きながら、私たちの命の本当の意味を、仏様から聞かせていただきましょう。</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">本願寺派布教使　朋澤 融智</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>『こころをばなににたとへん こころはあぢさゐの花』</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5317/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 27 May 2026 00:30:31 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　梅雨の時期に見頃を迎える紫陽花(あじさい)。雨に濡れながら、青や紫、薄紅色へと色を変えるため、別名「七変化」とも呼ばれます。しかしこれは、気まぐれに色を変えているわけではありません。紫陽花の色は、根を張った土壌の成分に [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　梅雨の時期に見頃を迎える<ruby>紫陽花<rp>(</rp><rt>あじさい</rt><rp>)</rp></ruby>。雨に濡れながら、青や紫、薄紅色へと色を変えるため、別名「七変化」とも呼ばれます。しかしこれは、気まぐれに色を変えているわけではありません。紫陽花の色は、根を張った土壌の成分に反応して決まるのだそうです。つまり、自らの意志ではなく、置かれた環境をそのまま受け入れて色づいている、なんとも正直な花なのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　冒頭の詩には、こう続きます。「ももいろに咲く日はあれど　うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　人間の「心」もまた、紫陽花に似ています。華やかな桃色のように弾む日もあれば、淡い悲しみの薄紫色に染まり、どうしようもない切なさを抱える日もあります。周囲の影響を受けて移ろいゆく紫陽花の姿に、作者は人間の心の痛ましいほどの繊細さを重ねたのかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　心は目に見えませんが、私たちの「顔」や「表情」にそのまま表れます。間もなく2歳を迎える娘を見ながら、夫婦でこんな会話をしていました。<br>「最近、表情がはっきりしてきたね。これからどんな顔立ちになっていくのかな？」<br>すると、そばにいた私の母がこう言いました。<br>「それはこれから、どんな人に出会い、どんな環境で育ち、どんな言葉を浴びて生きていくかじゃないかな。優しい言葉に触れていれば優しい表情になるし、トゲのある言葉の中では、険しい顔つきになってしまうかもしれないね。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　まさにその通りだと思います。私たちの心も、出会う人や置かれた環境、聞こえてくる言葉によって、まるで紫陽花が土壌の成分を吸い上げるように、知らず知らずのうちに色を変えているのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　だからこそ、何と出会い、何をよりどころにして生きていくのか。そのことが、人生という花の色を決めていくのではないでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　私たちは、有縁の方々の尊いお導きによって、阿弥陀如来のご本願に出遇わせていただきました。それは、環境によって七変化してしまう私たちの根底に「南無阿弥陀仏」という決して揺るがない豊かな土壌をいただいたということです。お念仏という土壌をいただいた上は、必ず「お浄土へ生まれ、仏さまと成る」という同じ花を咲かせることが約束されています。お念仏を申す中で、境遇や心の色の違いを超えて、同じ阿弥陀如来に抱かれた道を歩み、同じお浄土へと帰らせていただくのです。移ろい続ける私のままでいい。そのままで、すでに大いなる安心の中に身を置かせていただいている。そのことを深くよろこびたいものです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　今日もそれぞれの色を生きながら、同じお浄土を仰ぎ、ともにお念仏をよりどころとして歩んでまいりましょう。</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　本願寺派布教使　山﨑 弘純<ruby><rp>(じゅん)</rp></ruby></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>『死ぬ稽古をしなさい』</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5278/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Apr 2026 00:18:25 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[「命を終えるのが、もう目前かもしれない、って聞いて、どう思った？」 「楽しみ」 　昨年の五月。父が往生する二日前に、ICUのベッドの上で、私の問いに答えた言葉です。なぜ父は「楽しみ」と言えたのか。往生の後、しばらく考えて [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">「命を終えるのが、もう目前かもしれない、って聞いて、どう思った？」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「楽しみ」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　昨年の五月。父が往生する二日前に、ICUのベッドの上で、私の問いに答えた言葉です。なぜ父は「楽しみ」と言えたのか。往生の後、しばらく考えていたのですが、あるご法話をお聴聞したとき、「あの言葉の背景には、このことがあったのかもしれない」と思いに耽りました。そのご法話は、深川倫雄和上というお方が、あるご法座で、お参りの女性のご質問にこのようにお答えなさったとご紹介される内容でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「先生。お浄土に生まれさせていただくことは、ありがたいことだなと思うのですけど、だけどやっぱり、命を終えるのは、怖いとも思ってしまいます。どうしたら、心静かに、心穏やかに、命を終えていけるでしょう」<br>「何ごとにも、上達するには、稽古が必要ですからね。今晩から、死ぬ稽古をしなさい。いきなり、自分が死ぬ稽古をするのが難しければ、一つ前の段階として、これからも迎える大切なお方とのお別れの折に、どのような言葉をかけるか、考えなさい」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　私たちは、ついつい、「がんばって」と声をかけたくなりませんか。「生きているうちが華。死んだら終まい」という命の価値観しか持ち合わせていなければ、「がんばって。死なないで」という言葉をかけたくなってしまう。だけど、その病室の中におられる方の中で、一番がんばっておられるお方は、命を終えていかれるご本人ですね。一生涯、がんばってこられて、今は「もうこれ以上、がんばれない」というほど、がんばっておられる。そのお方に、さらに「がんばって」と言えば、つらく聞こえてしまうかもしれない。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「死んだら終まい」ではなくて、「阿弥陀さまに抱かれて、お浄土に生まれる」というお救いを聞かせていただいているお互いであるなら、「がんばって」と言いたくなる気持ちを飲み込んで、例えば、「ありがとう。あなたと出会えてよかった。一緒に時間を過ごせて、幸せだったわ。お世話になりました。先にお浄土に往って待っててね。私もすぐに参らせていただきます」と、お声がけするように稽古をしなさい。それが慣れてきたら、今度は自分が命を終えるとき、遺される方たちにどのような言葉をかけるか。どのような心持ちで最期を迎えるか、その稽古をしなさい──このようにおっしゃったそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　父は若い頃から、深川和上のもとでもお育ていただいてきましたから、「死ぬ稽古」の話を和上から聞かせていただいていたのでしょう。父は往生の十日前、友人に送ったメールをこのように結んでいたことがわかりました。「お浄土が近づく日々。ナモアミダブツ。如来浄華衆　正覚華化生。浄華といふは、阿弥陀の仏になりたまひしときの華なり。その華座に生まれるのですね。楽しみです」。往生を間近に感じつつも、阿弥陀さまに抱かれた安心の中で、父なりの死ぬ稽古をしていたからこそ、ICUのベッドの上で、さらりと「楽しみ」という言葉が出てきたのだろうと思ったのです。</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">       布教研究専従職員　若林 唯人</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>『何十年先も 君を友達って思ってる』</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5243/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 05 Apr 2026 07:13:51 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　春は予(かね)てより出会いの季節と言われています。四月一日からは新年度が幕を開け、多くの会社では入社式が、学生なら四月上旬には入学式が挙行されます。 　私が住職を務めるお寺から一キロと少し程の所に小学校があります。毎年 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　春は<ruby>予<rp>(</rp><rt>かね</rt><rp>)</rp></ruby>てより出会いの季節と言われています。四月一日からは新年度が幕を開け、多くの会社では入社式が、学生なら四月上旬には入学式が挙行されます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　私が住職を務めるお寺から一キロと少し程の所に小学校があります。毎年、入学式の日は保護者に連れられ、新しいランドセルを背負って小学校に向かう沢山の新一年生を見かけます。これから始まる学校生活を楽しみにしているのでしょう、どの子も皆、顔はキラキラとした笑顔です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　私はそんな笑顔の小学生を見た時、忘れられない小学校時代の思い出があります。入学式が済んで一週間ほど経ったくらいの時であったと記憶しています。学校からの帰り道、十メートル程先には下校する五人ほどの同級生がいました。私が「一緒に帰ろう、入れて～。」と声をかけると、向こうからの返事は「嫌や～あっち行け！」という何とも冷たいものでした。幼心にショックを受けて何とも言えない寂しい気持ちになり、それ以降は一人で家に帰っておりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そんな日が少し続いたある日、下校途中、後ろから「順大、一緒に帰ろうぜ！」と声が聞こえてきました。振り返ると、そこには一人の同じ町内の同級生がいました。彼の名前をA君とします。私が「いいの？」とたずねると、A君は「え？何言ってんの？いいよ！一緒に帰ろう！」と走って私の所まで来てくれました。これからずっと一人で寂しく帰る事になるのかな、少しですがそんな事まで考えていたので、そのA君の呼びかけがとても嬉しかったのを未だに覚えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そこから、そのA君とはクラスが違いましたが仲の良い友達になりました。小学校を卒業して同じ中学校に進学し、高校は互いに別々の学校に進みましたが、今でもよく連絡を取る、本当に仲の良い、何でも話すことのできる友達です。そんなA君と出会ったのが、この四月の学校の帰り道でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　あの時、一人で歩いている自分にA君が声をかけてくれた事を思い出す中で、それが阿弥陀さまのお心と通ずるものを感じます。『<ruby>無量寿経<rp>(</rp><rt>むりょうじゅきょう</rt><rp>)</rp></ruby>』というお経の中に「もろもろの<ruby>庶類<rp>(</rp><rt>しょるい</rt><rp>)</rp></ruby>のために<ruby>不請<rp>(</rp><rt>ふしょう</rt><rp>)</rp></ruby>の友となる。<ruby>群生<rp>(</rp><rt>ぐんじょう</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby>荷負<rp>(</rp><rt>かぶ</rt><rp>)</rp></ruby>してこれを<ruby>重担<rp>(</rp><rt>じゅうたん</rt><rp>)</rp></ruby>とす」という言葉があります。誰に頼まれずとも阿弥陀さまは私の友でいてくださる。苦しみ、悲しみの絶えない私の命をそのまま背負い、共に人生を歩んでくださるというのです。あなたの思いを全部受け止めるよ、あなたが嬉しい時は一緒に喜び、悲しい時は一緒に悲しみ、あなたと共に人生を歩むよ、私はあなたの真の友となるよ、と阿弥陀さまは私におはたらきくださっています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　お念仏申させていただくその心に、私たち一人一人がそのようなお心の仏さま、阿弥陀さまと<ruby>出<rp>(</rp><rt>で</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>遇<rp>(</rp><rt>あ</rt><rp>)</rp></ruby>わせていただいているのだということを、大事に受け止めさせていただきましょう。</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">本願寺派布教使　尺一 順大</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
			</item>
		<item>
		<title>『花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに』</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5201/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 24 Feb 2026 01:43:37 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　３月から４月への変わり目というのは進学、進級、年度替わりと様々な環境での節目を迎え、お正月とはまた違った時の流れを感じる時期ではないでしょうか。 　冒頭の歌は、はかなくも散る桜の花に小野小町自らの美貌の衰えを重ねた歌と [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　３月から４月への変わり目というのは進学、進級、年度替わりと様々な環境での節目を迎え、お正月とはまた違った時の流れを感じる時期ではないでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　冒頭の歌は、はかなくも散る桜の花に小野小町自らの美貌の衰えを重ねた歌と言われています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　年齢を重ねる中で美貌だけではなく、若い時のように体が動かなかったり、物事を思い出しにくくなったりしていきます。自分なりの衰えを感じながらこの先色々なものを失っていくのではなかろうかと思う時があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　では人生は失っていくばかりなのでしょうか？</p>



<p class="wp-block-paragraph">　浄土真宗では教えを深く極めた学位の高い僧侶を尊敬の思いを込めて「<ruby>和上<rp>(</rp><rt>わじょう</rt><rp>)</rp></ruby>」とお呼びします。明治のころ、大分県中津という所に<ruby>吐<rp>(</rp><rt>と</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>月<rp>(</rp><rt>げつ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>和上<rp>(</rp><rt>わじょう</rt><rp>)</rp></ruby>というお坊さんがいらっしゃいました。和上があるお寺の法要に布教に出向かれた際のお話です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　法要が終わると住職の息子さんが和上のもとに挨拶に来られました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「和上様、本日はありがとうございました。本当に尊いご縁、有難いお話でありました」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「あなたはいくつかな？」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「はい、１７歳です」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「あなたは阿弥陀さまのことが好きかい？」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「はい、大好きです！」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「それはよかったね。あなたは１７歳か。それだったら２０歳になり、２５歳になったら今よりももっともっと周りの人から好かれるよ。２５歳から３０歳、４０歳になったら好かれるだけではない。周りから信頼もされ、尊敬もされるようにもなる。でもな、私みたいに８０歳を過ぎると、目やにはたまる、鼻水は出る。家族からも８０歳を超えたじいさんはむさくるしいと段々距離を置かれるようになる。でもね、そうなった時でも、阿弥陀さまだけはこの口から『南無阿弥陀仏』とお念仏となって出てくださって『あなたのことが好きだ』とおっしゃってくださる。その時になったらもっともっと、今よりも阿弥陀さまのことが好きになるよ」と語りかけたそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　当時１７歳の<ruby>雲山<rp>(</rp><rt>くもやま</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>龍<rp>(</rp><rt>りゅう</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>珠<rp>(</rp><rt>じゅ</rt><rp>)</rp></ruby>少年、後に最高学位である<ruby>勧学<rp>(</rp><rt>かんがく</rt><rp>)</rp></ruby>和上になられ、８０歳を迎えるころにもこの時の吐月和上とのやりとりを多くの若い僧侶に同じようにして語っておられたそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　年齢と共に失っていくものもあるかもしれません。しかし、年齢と共に輝きを増し、前には思えなかったような大切な尊いものに見えてくるものもあります。お念仏の教え、阿弥陀さまのお慈悲は歳をとると輝きを増し、温かみが増していくと感じられないでしょうか。そのようなご縁に出会えたこの人生もまた尊いことだと頂きたいものです。</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">本願寺派布教使　<ruby>津守 <rp> </rp></ruby><ruby>秀<rp>(ひで)</rp>憲<rp>(のり)(のり)</rp></ruby></p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<title>『梅一輪 一輪ほどの あたたかさ』</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5176/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 Jan 2026 02:03:50 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　冬の寒さのただ中に身を置きながら、ふと、あたたかさを感じるときがあります。服部嵐雪は、一輪だけ咲いた寒梅を目にしたときに、ほのかでありながら、たしかな春の訪れを感じ、そのあたたかさを詠んだのでしょう。 　九年前の二月一 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　冬の寒さのただ中に身を置きながら、ふと、あたたかさを感じるときがあります。服部嵐雪は、一輪だけ咲いた寒梅を目にしたときに、ほのかでありながら、たしかな春の訪れを感じ、そのあたたかさを詠んだのでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　九年前の二月一日、祖母が往生いたしました。肌を刺す寒さに触れると、あの日の別れを思い出します。<br>　別れの悲しさの中に身を置きながら、ふと、あたたかさを感じるときがあります。懐かしい面影が心に浮かんだとき。かけてもらった言葉を思い出したとき。いただいたご恩に思いが及んだとき。そうした折々はもちろん、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を称え、そのお念仏の声を聞くときにも、私は、あたたかさを感じています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏は、あるお誓いを建てられて、その実現のため、長く長くご修行を重ねられて、そのお誓いを成就された仏さまだと、お経に説かれています。それは、このようなお誓いでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「苦しみを抱えながら、それを自分の力では解決できない命に、安らぎを与えられる仏に、私は成る。修行をして、安らかな悟りの世界、浄土に生まれさせる力を具えた仏に、私は成る。その修行を成就した仏が、すでに至り届き、すでに抱きかかえているということを、『南無阿弥陀仏』という声となって知らせて、安心させる。そんな仏に、私は成る」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「南無阿弥陀仏」と仏さまのことをお呼びしたら、仏さまが来てくださるのではなくて、阿弥陀さまがすでに私に至り届き、そのぬくもりが届いているからこそ、この私の口から、一声のお念仏が花ひらきました。<br>　花が咲いたあとで、春が来るのではなくて、その逆で、春のぬくもりが先に届き、すでに届いていたからこそ、一輪の寒梅が花ひらいたのと同じように。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　そんなお念仏の声を聞くとき、あたたかさを感じるのです。身に沁みる寒さと寂しさにふるえる私に、ぬくもりと安らぎを与えようと、阿弥陀さまが今もここで、私を抱きかかえてくださっていると。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　さらに言えば、阿弥陀さまに抱かれてお浄土に生まれさせていただいたら、阿弥陀さまと同じお悟りの仏さまに成らせていただくのだとも、お経に説かれています。<br>　ということは、お浄土に往生されたお方は、仏さまと成って今ここに<a>還り来</a>て、阿弥陀さまと同じように、私を包んでくださっているのです。そんな祖母のぬくもりも、そんなほのかで、たしかな、あたたかさも、お念仏の響きの中で味わっています。 </p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">本願寺派布教使　若林唯人</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>『受け止めきれないものと出会うたび 溢れてやまないのは涙だけ』</title>
		<link>https://otani-hombyo.hongwanji.or.jp/howa/5143/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[otanihombyo]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 07 Jan 2026 01:41:13 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　私たちは生まれてきたからには、いつか必ず死を迎えなければなりません。出会ったからには、必ず別れを経験しなければなりません。そうしたことは頭では理解していても、実際に受け止められるかといえば、いかがでしょうか。特に、その [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">　私たちは生まれてきたからには、いつか必ず死を迎えなければなりません。出会ったからには、必ず別れを経験しなければなりません。そうしたことは頭では理解していても、実際に受け止められるかといえば、いかがでしょうか。特に、その別れが大切な方とのものであればあるほど、受け止めきれないのが私たちの姿ではないでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　先日、ある70代の女性とご法事をご一緒させていただきました。ご主人の七回忌のご法事でした。お勤めとご法話とが終わり、お茶をいただきながらお話していると、女性は突然言葉を止められました。そして、涙をこぼしながらご自身の思いを語ってくださいました。「ダメねぇ。主人が先立ってから6年も経つのに、まだ涙が出てくるの。お友達といる時や孫と電話をしている時は大丈夫なの。でも、夜一人になった時や、こうして主人のことを改めて思い返すと、今でも涙が出てきてしまうの。ダメよねぇ……」</p>



<p class="wp-block-paragraph">　みなさんはいかがでしょうか。似たような思いを抱いておられる方もいらっしゃるかもしれません。世間では「いつまでも悲しんではダメ」「前向きに生きていかなければいけない」と言われることもあります。たしかに、そのように生きられれば良いのでしょうが、頭ではわかっていても思うように生きられないのが私たちの姿です。涙を流しながらしか歩むことができない私たちの姿があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　しかし阿弥陀さまは、「いつまでも悲しんではいけません」「強く明るく生きなさい」と仰るお方ではありませんでした。「そんな苦悩を抱えるあなたこそ救わずにはおれない。どんなあなたであっても救い、支えぬく仏と成る」と立ち上がってくださったのが阿弥陀さまです。大切な方との別れを悲しまずにはおれない私のために、阿弥陀さまは“また会える世界”、別れのない世界であるお浄土をご用意くださいました。お念仏をいただく私たちは、この命終わるとき、阿弥陀さまのおはたらき一つで、懐かしい方々の待つお浄土へ参らせていただく身に、すでに仕上げていただいているのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　苦悩を抱え、涙を流しながらしか歩むことができない私の為にご用意された仏道が浄土真宗です。 その浄土真宗をあきらかにしてくださったお方が親鸞さまでありました。親鸞さまのご命日が今月16日。本願寺では9日から16日まで、親鸞さまのご命日をご縁とする御正忌報恩講法要が厳修されます。このご縁に、ぜひお参りいただき、ご一緒に阿弥陀さまのお心をお聞かせいただければと思います。</p>



<p class="has-text-align-right wp-block-paragraph">本願寺派布教使　正親 一宣</p>
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