境内案内

境内地図

境内・墓地詳細マップでは大谷本廟内の詳しい境内地図をご覧いただけます。ご参拝の際はどうぞご利用ください。
また、大谷墓地の全地番・主要な分岐地点等を掲載しておりますので、墓地ナビゲーションとしてもご利用いただけます。

総門

第14第寂如上人の時代、1710(宝永7)年宗祖親鸞聖人450回忌法要を修するにあたり、同年3月に建立されました。
その後、第18代文如上人の時代、1796(寛政8)に現在の四脚門に改築されました。
総門に掛かる「大谷本廟」の額は、1860(萬延元)年9月に書かれた九条尚忠の筆であります。

  • 総門
  • 総門
  • 総門

本廟会館

総門を入るとすぐ右手の本廟会館に、納骨・読経などの受付を行う総合受付があります。
このほか、建物内には売店・喫茶・食事処・参拝者の休憩所・ラウンジなどがあります。

  • 本廟会館
  • 本廟会館
  • 本廟会館
  • 本廟会館

明著堂めいちょどう・祖壇

明著堂は親鸞聖人の墓所である祖壇の前に位置する拝堂で、東西五間、南北十間、内部に柱のない建物です。
1709(宝永6)年、第14代寂如上人の時代に造営されました。
正面には、寂如上人のご染筆による「明著堂」の額が掲げられています。
慶応の火災(1867年)では境内の多くの堂舎が失われましたが、この建物は幸いにも類焼を免れ、当時の大谷本廟の面影をよく今に伝えています。
また、祖壇の周囲には、歴代宗主やお裏方の廟墓、祖壇納骨所があります。
先人の方がたは親鸞聖人のおそばにとの思いから大谷本廟にご納骨をされ、尊いご縁としてお念仏のみ教えを受け継ぎ、次の世代に伝えてこられました。
全国から絶えず多くの門信徒が訪れ、親鸞聖人をはじめ、先人のご遺徳を偲んでご参拝されます。

  • 明著堂
  • 明著堂

大谷墓地

祖壇後方には約13,000基の大谷墓地が広がっています。

無量寿堂・大谷墓地

無量寿堂

1968(昭和43)年に第一無量寿堂、1990(平成2)年に第二無量寿堂という室内の納骨所が造営され、32,000基余りの納骨壇があります。

  • 無量寿堂・大谷墓地
  • 無量寿堂・大谷墓地
  • 無量寿堂・大谷墓地
  • 無量寿堂・大谷墓地
  • 無量寿堂・大谷墓地

仏殿

第13代良如上人の時代、1661(寛文元)年に創建され、1867(慶応3)年に隣接する二天門からの出火で焼失しました。
現在の建物は、1870(明治3)年に再建されたもので、内陣には第14代寂如上人御作であるご本尊の阿弥陀如来を中心に、歴代宗主、左余間には七高僧・聖徳太子、右余間には覚信尼公のご絵像が奉懸されています。
堂内の「龍谷山」の額は、寂如上人のご染筆によるものです。

  • 仏殿
  • 仏殿
  • 仏殿

菜の花

メニューは松華堂弁当や天ぷら定食などの伝統的和食をはじめ、そばやうどん、洋食など約40種類。
中でも和風だし仕立ての優しい味わい『豆乳ゆばラーメン』や京風だしが味わい深い風味豊かな『ゆば丼生ゆばセット』がおすすめ。
気軽なランチはもちろん、法要の会席料理もご用意できます。
ご参拝・観光のご昼食に、生ゆばを使った料理をぜひお楽しみください。

営業時間
10:00~14:00(L.O)
※お食事は11:00~
定休日
不定休
  • 菜の花
  • 菜の花
  • 菜の花
  • 菜の花
  • 菜の花

売店(開明社)

全国から納骨やお墓参りで訪れる参拝者をおもてなし。
お仏壇用のお花や線香をはじめ、お念珠や経本などほかにもさまざまな商品を取り扱っています。
総合受付前と、第一無量寿堂6階受付前にございます。

営業時間
8:30~16:45
  • 売店(開明社)
  • 売店(開明社)

喫茶いとう

コーヒーや軽食、ぜんざい等を取り揃えております。

  • 喫茶いとう
  • 喫茶いとう

花噴水

参拝者からお供えいただいた仏花を、仏殿前の噴水に浮かべています。

  • 花噴水
  • 花噴水
  • 花噴水

めがね橋(円通橋)

この石橋は「円通橋」といい、2つのアーチ状の橋が水面に映る姿はあたかも眼鏡のように見えることから、通称「めがね橋」と呼ばれています。
江戸時代末期の1856(安政3)年、本願寺第20代広如上人の時に親鸞聖人600回大遠忌を迎えるにあたり、蓮池と石橋が架けられました。
この橋は、大坂・播磨屋五兵衛の寄進によるもので、長さ約40m、幅約6mになります。
また、蓮池は「晧月池こうげつち」といい、ここに咲く〈大賀蓮〉は「古代の蓮」とも呼ばれ、2000年前の一粒の種から開花させ受け継がれたとされます。夏にはピンクの華やかな蓮の花を咲かせ、円通橋からはこの蓮の花と葉を見下ろすことができ、緑とピンクの彩りや円い蓮の葉を楽しむことができます。

  • めがね橋(円通橋)
  • めがね橋(円通橋)
  • めがね橋(円通橋)

荼毘所だびしょ

荼毘とは、インドの言葉で「火葬」という意味です。
親鸞聖人が90歳でご往生されると、こちらの「お荼毘所」で火葬に付され、京都東山の鳥辺野(とりべの)の北、「大谷」に石塔を建てご遺骨をおさめられました。

  • お荼毘所
  • お荼毘所
  • お荼毘所

戦没者記念堂・殉教碑

戦没者記念堂・殉教碑とは、国事に殉じた同信同行の人々を追悼する施設です。

  • 戦没者記念堂
  • 戦没者記念堂

覚信尼公碑文

覚信尼公は、宗祖親鸞聖人の息女で、聖人の臨終に侍して孝養をつくし、その墳墓を鳥辺野の北大谷に造りました。
その後、諸国の門弟の協力を得て吉水北辺に移し廟堂を創建し、宗門の総有として自らその地を守護し、これが大谷本廟及び本願寺の起源となりました。
宗祖親鸞聖人700回大遠忌の予修法要と世界仏教婦人会の結成を記念して1958(昭和33)年4月に建立。
その後、1999(平成11)年11月、覚信尼公の永代の顕彰を希い、修復されました。

  • 覚信尼公碑文
  • 覚信尼公碑文

石窟

この石窟は、親鸞聖人が学問をされたと伝わる場所です。
石窟入口付近には、漆喰の痕跡や踏石があり、扉があったことが分かります。
石窟に利用された石材の多くは、江戸時代の石造品(石仏・五輪塔・小形板碑など)が利用されており、平成16年に実施された京都市の調査により、数少ない貴重な石窟であることが確認されています。

石窟