大谷本廟について

境内地図

【大谷本廟全体図】拡大表示

【大谷本廟全体図】PDF

大谷本廟全体図

明著堂(めいちょどう)

明著堂(めいちょどう) 明著堂(めいちょどう)は親鸞聖人(しんらんしょうにん)の墓所である祖壇(そだん)の前に位置する拝堂(はいどう)で、東西五間、南北十間、内部に柱のない建物です。1709(宝永6)年、第14代寂如上人(じゃくにょしょうにん)の時代に造営されました。正面には、寂如上人のご染筆(せんぴつ)による「明著堂」の額が掲げられています。また、祖壇の周囲には、歴代宗主(しゅうしゅ)やお裏方(うらかた)の廟墓(びょうぼ)、祖壇納骨所(そだんのうこつしょ)があります。

仏殿(ぶつでん)(本堂)

仏殿(ぶつでん)(本堂) 第13代良如上人(りょうにょしょうにん)の時代、1661(寛文元)年に創建され、1867(慶応3)年に隣接する二天門(にてんもん)からの出火で焼失しました。現在の建物は、1870(明治3)年に再建されたもので、内陣(ないじん)には寂如上人(じゃくにょしょうにん)御作の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)を中心に、歴代宗主(しゅうしゅ)、左余間(ひだりよま)には七高僧(しちこうそう)・聖徳太子(しょうとくたいし)、右余間(みぎよま)には覚信尼(かくしんに)さまのご絵像が奉懸(ほうけん)されています。堂内の「龍谷山(りゅうこくさん)」の額は、寂如上人のご染筆(せんぴつ)によるものです。

お荼毘所(だびしょ)

お荼毘所(だびしょ)  荼毘(だび)とは、インドの言葉で「火葬」という意味です。親鸞聖人(しんらんしょうにん)ご往生の後、その遺骸(いがい)は「洛陽(らくよう)東山(ひがしやま)の麓(ふもと)、鳥辺野(とりべの)の南の辺、延仁寺(えんにんじ)」で火葬にふされました。この地は、当時の火葬所跡と伝えられています。

無量寿堂(むりょうじゅどう)・墓地(ぼち)

無量寿堂(むりょうじゅどう)・墓地(ぼち) 1968(昭和43)年に第一無量寿堂(むりょうじゅどう)、1990(平成2)年に第二無量寿堂(むりょうじゅどう)という室内の納骨所が造営されました。
 また、祖壇後方には大谷墓地が広がっています。

本廟会館(ほんびょうかいかん) 

本廟会館(ほんびょうかいかん)  総門を入るとすぐ右手に位置する建物です。ここでは、納骨(のうこつ)・読経(どっきょう)等の受付を行う他、建物内には売店・喫茶・食堂等があります。

関連コンテンツ
お問い合わせ先

納骨・読経等に関するお問い合わせは電話075-531-4171 ファクス 075-531-2072
〒605-0846
京都市東山区五条橋東6丁目514
大谷本廟(おおたにほんびょう)

関連リンク

西本願寺聞法会館本願寺出版社