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令和4年 春季彼岸会「和顔愛語」
春のお彼岸の花文字は、「和顔愛語」です。この言葉は、仏説無量寿経という経典の中にあるもので、私たちが人々との出会いのなかで、穏やかな顔と優しい言葉で人に接すれば、他人の心も穏やかにできるということを教えて下さる大切な言葉です。
しかし、そのことは頭の中では理解できたとしても、いざ自分自身が「和顔愛語」を実践していくことは、なかなか大変なことです。
もちろんこちらの体調や気分が悪い時、忙しくて心の余裕が全くない時に実践するのは困難ですし、逆にこちらは和顔愛語で接するよう心がけていたとしても、相手の方からあきらかに不機嫌そうな態度や怒鳴り声で話された場合には、笑顔や優しい言葉をかけるのをためらってしまうことも多々あると思います。
では、どうすれば「和顔愛語」を実践できるのでしょうか。実は、この「和顔愛語」という言葉は、経典ではさらにこう続きます。「和顔愛語・先意承問」です。
「先意承問」とは、「先ず相手の気持ちを察してその望みを受け取り、相手のために、何ができるのかを自分自身に問いただす」という意味です。
大切なのは、自分がもしも相手の立場に立ったとしたら、どんなふうに接してほしいのかを第一に考えて行動することです。相手のことを先に思いやって、私の方から歩みよることです。
もしも、相手の笑顔が欲しいのならば、先ず私の方から笑顔で相手に優しい言葉をかけることが肝要です。相手を思いやるあたたかな心をもって、「和顔愛語」で接することができれば、きっとその思いは相手に伝わり、人を笑顔にすることができるはずです。そしてやがて大きな「和顔愛語」の輪となって人から人へと広がり、明るい社会になっていくでしょう。
合 掌
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令和3年 秋季彼岸会「和顔愛語」
大谷本廟には、毎日、全国各地から沢山の参拝者がお見えになります。迎える側は、当たり前の光景で、日常の一コマと思ってしまいがちですが、もしかしたら、参拝者にとっては、最初で最後のご参拝かもしれません。
あるいは、何度か来られた方であっても、毎回違った思いで、ご参拝いただいているかもしれません。
一期一会という言葉があります。一期は仏教の言葉で、人間が生まれてから死ぬまでのことですから、一期一会とは、一生に一度だけ、生涯に一度限りという意味です。人と人との出会いは、一度限りの大切なものという意味で使われたり、このことは、生涯に一回しかないと考えて専念するという意味で使われています。
もともとこの言葉は、茶道からきているものでして、茶道では、毎回同じ主人がお茶を入れ、同じお客がそれをいただくということは珍しいことではありませんが、そういったくり返しの連続であっても「一期一会」なのです。これから幾たびも茶会を開く機会があっても、この茶会と全く同じ茶会を二度と開くことはできない。無常なる世だからこそ、今回の茶会は常に人生で一度きりのものと心得て、相手に対して精一杯の誠意を尽くさなければならないと茶道の心得を表した言葉として有名です。
そうであるならば、私たちも精一杯の誠意をもって参拝者の皆様をお迎えさせていただきたい。その心構えを教えてくださる大切な言葉が「和顔愛語」です。
相手を思いやる気持ちをもって、穏やかな笑顔と優しい言葉で、接することができたなら、その思いは、必ず相手方に伝わるはずです。皆様お一人お一人に、大谷本廟にお参りして良かったと言っていただけるように、和顔愛語の言葉を忘れることなく、接遇させていただくよう努めてまいりたいと思っております。
合 掌