雪を分け すっくと伸びる ふきのとう

真っ白い雪のなかにぱっと目を引く若草色。ふと見れば、ふきのとうが頭を出しています。まだ寒さの残る晩冬に、ふきのとうは確かな春の訪れを知らせてくれているようです。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人は非常に厳しい人生を生きられました。平安末期から鎌倉時代という動乱の世を生きられた親鸞聖人。わずか9歳で出家されます。29歳のときに生涯の師である法然聖人のもとでお念仏のみ教えに出遇われるも、その幸せな日々は長く続かず、謂れの無い罪を問われて流罪となり、法然聖人とも別れていかねばなりませんでした。また、晩年にはご長男である善鸞さまがお念仏のみ教えを惑わす大混乱を呼び、み教えを守るために親子の縁を断つというご決断までされます。
90歳まで生きられた親鸞聖人でしたが、それは悲しみや苦しみ多きご生涯でもありました。
しかし親鸞聖人は、そのご生涯を有り難いとよろこび生き抜かれました。苦悩を背負うたからこそ阿弥陀さまのお心の深さが窺える。どこまでも私とご一緒してくださるお慈悲の心があたたかい。別れが厳しいからこそまた出会えるお浄土が有り難いと、苦難もご縁であったとお念仏申しながら生き抜かれたのです。
「救ってください!お願いします!」とすがるように口にするお念仏は、ともすれば絶望の叫びとも言えるかもしれません。しかし親鸞聖人はそうではなく、口から出るお念仏は自分を突き動かした阿弥陀さまのおはたらきと仰がれ、よろこばれました。賢く生きられなくとも、強く生きられなくとも、苦悩ごと私を抱き続ける阿弥陀さまの力強さを、どこまでもご一緒くださる阿弥陀さまのお心の深さをよろこばれたのです。
残雪を溶かして顔を出すふきのとうからは、春のぬくもりを、ふきのとうのたくましい力強さを感じます。 お念仏に阿弥陀さまのぬくもりを、力強さを思う時、じわりじわりと溶けていくものがあるのではないでしょうか。
合掌