桜散る 梅はこぼれる 椿落つ 牡丹くずれる 人は……
春爛漫の季節を迎えました。あなたがこの紙を手にしてくださっている時、周りを彩る花々はどんな姿をしていますか?
私たちの先輩方は花の咲く姿だけではなく、終わりの姿も味わい深く愛でてこられたようです。それが、花の終わりの表現の豊かさに表れていると教えてもらったことがあります。
たとえば、桜の花の終わりは「散る」と言いますね。
梅の花はどうでしょうか?桜と同様「散る」と言われることもありますが、小さくて丸っこい梅の花びらが散る様は、涙がポロポロこぼれる様子に似ていることから、梅は「こぼれる」という言い方もあるのだそうです。椿は、花首からポトリと「落ちる」。
大輪の花を開かせる牡丹は、咲く姿もダイナミックですが枯れる姿もダイナミックです。それは形が大きく「くずれる」から。花によってこれほど多彩な表現があることに、日本語の豊かさを知らされます。
では、ここでクイズです。
「桜散る 梅はこぼれる 椿落つ 牡丹くずれる では 人は……?」
あなたはどんな言葉を考えましたか?
ちなみに、私は初めてこのクイズに出会った時、迷わず「死ぬ」と考えました。すると、この問題を出してくださった方が、
「大正解です。でも、答えは一つじゃなくてもいいんですよ。いろんな言葉があっていい。たとえば、こんな言葉はどうでしょう?」
そう言って、教えてくださった言葉は、「往く」でした。
「往く」の元になっている言葉は、「往生」です。ここ、大谷本廟のご本尊である阿弥陀如来が、私たちの為に開かれた救いの世界、お浄土に往き生まれることを「往生」と言います。
阿弥陀さまは、私たちのいのちを死で終わりにしない、お浄土に往生させ、仏さまのいのちへと実を結ばせたいと願いを発してくださいました。私たちは、つい花が美しく咲く姿に魅せられがちですが、花々にとっては咲くことだけではなく枯れることも大切なことです。そこには、実を結ぶいのちの営みがあるからです。結ばれた実は、また次のいのちを生かしめてゆきます。仏さまへと実を結ばれたいのちは、慈しみをもって他のいのちを包み、育み、導いてゆきます。今日、私たちが大谷本廟にお参りをしているのも、先立って仏さまと成られた方々のそうした営みにもよおされてのことではなかったでしょうか。
「死ぬ」と答えた時と、「往く」と聞いた時では、花の終わりも随分雰囲気が違って聞こえるものだなぁと驚いたことです。
もちろん、「往く」以外の答えもあっていいのです。あなたはどんな言葉を考えましたか?
その言葉の豊かさは、そのまま、あなたのいのちの豊かさとなってゆくことでしょう。