月々のことば(法話)

2023年6月

『紫陽花や 赤に化けたる 雨上がり』

※出典:正岡子規

梅雨の季節を美しく彩る紫陽花。

紫陽花は時の経過や土の成分によって色が変わるようです。

酸性の土地なら青色、アルカリ性の土地なら赤色といったように刻一刻と変化していきます。

そのような特性から紫陽花は別名七変化ともいわれています。

作者は紫陽花の変化に自らの人生を重ねていたのでしょうか。

ひるがえって私達はどうでしょうか。 

自らの人生を思う通りに生きているのでしょうか。

こんなはずではなかった、こんなつもりではなかったのに…の連続が私達の人生ではないでしょうか。

もしかしたら私達は自身の命でありながらも、自らでコントロールできるほど強く賢くはできていないのかもしれません。

まるで縁によって変わりゆく紫陽花のように、生まれてきた時代や場所、出会う人や出来事によってどのような人生を生きていくかわからない。さまざまな縁によって催された人生を生きている。

親鸞聖人はそのような思い通りにならない命の有り様を『歎異抄』において「去るべき業縁を催さばいかなる振る舞いをもすべし」と示されています。

かくありたいと願っていても縁によってはどうなっていくかはわからない。そのような命をこそ救わねばならぬと慈悲の涙をそそがれたのが阿弥陀仏でありました。

強く賢く生きてゆける者ではない、縁によっては何をしでかすかわからない弱く悲しい命をこそ救わねばならぬと関わりつづけてゆく。そのお心を聞かせていただくならば、ただ流されゆく人生ではなく、確かな安心のなか、その人生を歩んでいくことができる。

阿弥陀仏はこの私を南無阿弥陀仏と念仏申すような身に育て上げて、必ず浄土に迎えとって仏に成らせていく。どのような姿になるかはわからない、まさに想定外の人生を生きる私の全てを包み込んでいく。それが南無阿弥陀仏の仏道である。

一覧に戻る