『極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば 南無のひと声』
3月のお彼岸は、冬から春へと季節が移り変わる大切な時期です。その彼岸とは、阿弥陀さまがいらっしゃる極楽浄土を指します。
『仏説阿弥陀経』というお経には、極楽浄土は私たちの世界から「十万億仏土」離れた世界にあると説かれています。これは、無数の仏さまの世界を超えた遥か彼方に極楽浄土が存在するということを意味しています。
この極楽浄土について、一休さんと本願寺8代目宗主の蓮如上人との間に興味深い逸話があります。
ある時、一休さんが蓮如上人に次の歌を送られます。
極楽は 十万億土と説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ
一休さんは、極楽浄土が遠い世界にあるとすれば、足腰の立たない人は行けませんね。阿弥陀さまとは、何とも冷たい仏さまですねと皮肉を込めて詠まれます。
これに対し、蓮如上人は次の歌を返されます。
極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば 南無のひと声
蓮如上人は、極楽浄土は遠い世界にあるとありますが、実は「南無阿弥陀仏」という近道があるんですよと詠まれます。
お経に説かれる極楽浄土の遠さは、単に物理的な距離が遠いという意味ではありません。私たちは、仏さまのような智慧がないので、私たちの力では極楽浄土へ行くことは不可能な遠い存在であることを意味しています。
阿弥陀さまは、私たちの力では極楽浄土へは決して行くことができないと見抜かれました。だからこそ、「阿弥陀仏 ここを去ること遠からず」と『仏説観無量寿経』に説かれるように、阿弥陀さまは遠くでじっと私たちのことをご覧になられているのではありません。阿弥陀さまは自ら立ち上がり、南無阿弥陀仏のみ声となって、この命に到り届いてくださいます。「あなたと共にお浄土への人生を歩んでいますよ」との南無阿弥陀仏のよび声にまかすとき、お浄土は遥か彼方にあるのではなく、今、ここに開かれている世界なのです。
お彼岸に先立たれた方を偲びながら、南無阿弥陀仏とお念仏申し、今、ここに開かれているお浄土を味わわせていただきましょう。
本願寺派布教使 野田茜