『暗い夜道でありました ひかりかかげて進むのは しんらんさまでありました』
出典:釜瀬春鳳『旅ゆくしんらん』
大谷本廟では10月に「龍谷会」という法要が勤まります。「龍谷会」とは大谷本廟の報恩講です。報恩講とは、我々が阿弥陀如来に救われていく道をお示しくださった宗祖親鸞聖人のご命日にあたり、ご遺徳を偲ぶとともに真実のみ教えに遇わせていただいたご恩に感謝する法要です。
親鸞聖人は9歳にて出家、僧侶となられ比叡山にて20年のご修行の日々を過ごされます。比叡山でのご修行の日々は、自らの力で煩悩を取り払い、精進努力して仏道を歩んでいくというものでありました。親鸞聖人は最初、「私の持つ煩悩というものを取り払い、心を磨いていく中にさとりに通じて行くような清らかな心がある」と考えられていました。しかしどれだけ修行を重ねていっても見えてくるものは取り払ってもあふれ出てくる自らの煩悩の深さ。清らかな心に煩悩が引っ付いているのではない。煩悩で出来ているのがこの私だったのだという自らの現実を見つめられていったのです。
20年間のご修行の末、「比叡山では自分は救われる道がない」と行き詰った親鸞聖人。京都の町中で「すべてのものが念仏で救われる」と説く法然聖人のもとに向かわれます。そこで出会ったのは「われ何をなすべきか」で救われていくのではない。私の歩むべき仏道を阿弥陀さまのほうからお越しくださり、今ここに南無阿弥陀仏の念仏としてご一緒してくださる。阿弥陀さまからの救いという仏道に出会っていかれたのです。
親鸞聖人は順風満帆な人生の中で阿弥陀さまに出会われたのではありませんでした。「この身はこれほどまでに煩悩深いとは」と自分自身を嘆き、「自分自身の本当の姿に比叡山には自分の居場所がない。いや、仏教という枠組みの中においてもこのような私には居場所がないのでは」とご自身を見ていかれたのではないでしょうか。
絶望の中で「煩悩深きあなたが救いの目当てである」と阿弥陀さまのお慈悲に出会い、居場所が与えられました。そして喜びをもって「どうかあなた達も阿弥陀さまに出会っておくれ」と私たちに阿弥陀さまのお救いをお知らせくださいました。
親鸞聖人のご苦労を偲びながら「おかげさまで阿弥陀さまに出会えました」とご恩に感謝することができる法要が報恩講なのです。
本願寺派布教使 津守秀憲