月々のことば(法話)

2024年11月

『春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然な事なんだ。』

出典:レオ・バスカーリア『葉っぱのフレディ』

 これは「葉っぱのフレディ」という絵本の一つの木に生きる葉っぱたちの一生を春夏秋冬の季節の変化に合わせて描かれる物語の一節です。 
緑生い茂る夏が終わり、やがて秋がきて、次々と風に吹かれて葉っぱたちが散っていく。そして最後に残された葉っぱのフレディが「死ぬ事がこわい」とこぼす。 
それに対して親友のダニエルがフレディに向けて語りかけた言葉が冒頭の 
春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然な事なんだ。」です。この作中では死ぬ事も季節が巡る一つの変化にしかすぎないというわけですが、みなさんは死というものをどのように受けとめていますか? 

 この世に生まれてきたならば必ず死んでいく。わたしたちはそのことを知ってはいても、自身からは、なるべく遠ざけて生きていこうとします。 
しかし、このような目を背けたくなる自らの死を真正面から受けとめていこうとするフレディの姿にあらためて自らの死について考えさせられました。この物語は葉っぱの一生を描く子供向けの絵本ですが、生にこそ価値をみていくような現代の風潮に訴えかける物語ではないでしょうか。そして私たちはフレディのように自らの死を一つの変化として受けとめていくことができるのでしょうか?  

 死を覆い隠すように生きる私たちには、生きることや死ぬことについて立ち止まって考える機会はあまりないのかもしれません。 
しかしこうしてお墓に参り、あるいはお寺に参る時、自らの生や死について改めて考えさせられるのではないでしょうか。  

 私たちにとってお墓に参るということは、亡き方を偲び、感謝することである。しかし、それは同時に私たちがいま生きることや、死ぬことについて、考えさせていただく大切な機会でもあるのでしょう。これこそが先立っていかれた方々からの贈り物なのかもしれません。 

本願寺派布教使 朝山大俊

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