月々のことば(法話)

2025年4月

『「卒業」それは、はじまりということ』

出典:GADORO『ハジマリ』

 私たちは、聞いた言葉が私の心や身体に大きな影響を与えてゆく。あるいは、どのような言葉を聞くかによって、その後の人生が大きく変わってゆくということがあります。
 これはあるお坊さんから聞かせていただいた話です。毎月お参りに行っているお宅にはケンタくんという小学校3年生の男の子がいました。その子に毎回このような話をクイズ形式でしているそうです。

「ケンタくんは、小学生を卒業したら何になると思う?」
「そんなの簡単じゃん。中学生になるよ。」
「正解だよ。じゃあちょっとだけ質問を変えるけど、お坊さんも君も人間だよね。人間を卒業すると何になると思う?」
「えっ、、、。 んー。 ・・・死んでいなくなると思う。」
「そうか。死んでいなくなるか。じゃあケンタくんは死んでいなくなったらどう思う?」
「えー。それはなんか嫌だなあ。」
「嫌だよね。でも毎月お参りしている阿弥陀様という仏様はね、絶対にあなたを死んで終わりにはさせないと言われるんだよ。必ずあなたを仏にすると言ってくださる仏様なんだ。「卒業」って聞くと、どうしても“終わり“という気がするけど、決してそんなことはない。小学生を卒業したら、中学生がはじまっていくように、人間を卒業したら、仏様としてはじまっていくんだよ。「卒業」には“はじまり“という意味があるんだ。」

 それから1年が過ぎたとき、ケンタくんのおじいちゃんがいのちを終えてゆくという出来事がありました。お坊さんがお通夜へ行ったとき、ケンタくんが寄ってきて「おじいちゃんが仏様になっちゃった。」と涙ながらに言ってくれたそうです。それから、棺を覗き込み、おじいちゃんに向かって「おじいちゃん、仏様になったんだね。またね。」と声をかけていたそうです。

 阿弥陀様はこの私を必ず、お浄土という世界に生まれさせ、仏とならせるとお誓いくださいました。そのことをそのまま聞かせていただくことがとても大切なことです。人間を卒業したら死んで終わりと聞いていくのか、卒業したら仏様になると聞いていくのでは、そこには言葉以上の違いがあります。
 そうはいってもなかなか素直に受け止められないのが私たちの本心でしょう。しかし、大切な方がいのちを終えていったとき、あるいは自分自身の死を意識させられたとき、その言葉が光を持ってこの私の心に響いてくるのではないでしょうか。
 仏様になると聞かせていただく、その人生には決して死んで終わりではないという豊かな世界が広がっていくのであります。

本願寺派布教使 渡辺有

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