『太陽は俺らを照らす。きみが辛い時もずっと空の上で。』
出典:ケツメイシ『太陽』

5月といえば太陽に照らされて若葉のみどりが美しい季節であり、初夏は太陽が心地良く気持ちの良い気候であります。
TBSアナウンサーの安住紳一郎さんがレギュラーで持たれているラジオ番組に日曜天国という番組の中で、一つお題をあげてそのお題に視聴者の方々がそれぞれの思い出など投稿するというものがあります。たまたま聞いた時のお題は「捨てられないもの」57歳の男性の投稿でした。
母が亡くなって7年、父が亡くなって1年半が過ぎ、ようやく私は実家の整理をしようと重い腰を上げました。やり出してみると性格なのか息子だからか、そこまで両親の持ち物に興味や愛着はなく写真など一部を除いて意外とスムーズに断捨離ができました。
そんな中、母の部屋の洋服タンスの上にポツンと置いてある一つの箱を見つけました。箱を開けてみると中には私の小学校1年生から高校3年生までの通信簿と中高で所属していた野球部のユニホームが入っていたのです。
通信簿なんて妻や子供たちに自慢できるような成績でもなく、そして今より15キロも痩せていた時のユニホームは現在着られるはずもなくすぐに捨てようと決めたのですが、箱の中に一通の便箋を見つけました。
その便箋には母の字で「こうさん、よく頑張りました。私の宝物です。」と書かれていたのです。勉強もできず、野球もレギュラーではなく、本当に出来の悪い息子だったのに。忘れた頃の母の自分への愛情というものはまたグッと来るものですね。そんなことを言われた日にはさすがの私も捨てるに捨てられず私の部屋の押し入れで現在幅を利かせることになりました。姿なき親の愛情を感じています。
この男性、自分の事を出来の悪い息子だとずっと引け目を感じていました。しかし、お母様の「よく頑張りました。私の宝物です。」の言葉に救われたのではないでしょうか。自分の全てを見てくれていた、受け入れてくれていた母親のまなざしに。
阿弥陀仏という仏さまは私に「立派な人間になれ。何かを成してこい」とは申されません。「あなたらしく生きなさい。私が一緒にいるから大丈夫」とそのまなざしで常に私を照らし続けて下さる仏さまです。
辛い時も苦しい時もあるのがこの人生です。その中で時に「私なんて」と自分自身を虐げる事もあるでしょう。ですが、その私を決して見捨てる事などありません。
阿弥陀仏のまなざしの中に生きるとは、このいのち尽きる時「よく頑張りました。」と褒めていただける人生を歩んでいるということ。その人生を「南無阿弥陀仏」というのです。
本願寺派布教使 工藤恭修