お彼岸に想う

秋分の日というのは、太陽が真東から昇り、真西に沈んでいきます。この日を中日とした前後三日間を合わせた七日間の事を秋彼岸と言います。「彼岸」とは仏教では「悟りの世界」を意味し、浄土真宗では悟りの世界と言うのは阿弥陀様の浄土です。阿弥陀様は西の彼方に、浄土という悟りの世界を造られ、全ての命ある者を浄土に生まれさせるとおはたらきくださっています。
浄土真宗の教えを大事にされた先人方は、お彼岸の時期に、西に沈みゆく太陽、夕焼けを見て、そこに阿弥陀様の浄土を重ねられ、浄土に参っていかれたと聞かされている自分の大事な人の事を想われました。「あの人が参ってゆかれた浄土は、あの夕焼けの向こうにある。私も、同じ阿弥陀様の浄土に参らせていただくのだ。」と先立ってゆかれた方の事を偲びながら自身の命の往く先を見つめ、お浄土での再会に想いをはせてこられたのです。
私はお彼岸の時期、ある門徒様の事を思い出します。お名前をAさんとします。浄土真宗の教えをとても大切にされ、お寺の役員も長年務めてくださった方でした。そんなAさんからある時、突然お寺の役員を辞めさせてほしいと連絡がありました。Aさんは最近体調を崩されて、病院に行くと癌の宣告を受けたというのです。余命はおそらく半年程だと、これからは癌の治療に専念したいから、役員は辞めさせてほしいとの事でした。突然の事で、何と答えていいかわからずいると、Aさんは「突然癌と宣告されて最初は頭の中が真っ白になりましたわ。せやけどね、ご院さん、私には命終わって参ってゆける浄土があるんですね。また、浄土という世界は懐かしい方々とお会いする事の出来る世界であるとも聞いています。まあ、私はもうちょっとしたらお浄土に参りますけど、また浄土で会いましょうね。」この様に仰られたのです。この言葉を残して四ケ月程して、Aさんは命を終えていかれました。また浄土で会いましょうね、Aさんの最後の言葉は大事な事を教えてくださっていたのだと感じます。
阿弥陀様は、人間は生まれたら必ず死に別れてゆかねばならない、そんな存在だからこそ、どうにかして救いたいと願いを起こされ、お浄土をお造りくださいました。そして、「あなたは死んでゆく命ではありません。別れてゆく命ではありません。お浄土へと生まれゆく命を生きているのです」、と私達一人一人におはたらきくださっております。その事をAさんは最後に教えてくださったのです。私達は同じおはたらきをいただいているからこそ、さよならではなく、また浄土で会いましょうね、そんな言葉を互いにかけあっていく事ができるのです。
お互い様に、お彼岸の時期には、西の夕焼けに浄土を想い、大切な方を偲ばせていただきましょう。
浄土真宗本願寺派布教使 尺一 順大