淡紅の秋桜が秋の日の 何気ない陽溜りに揺れている
出典:山口百恵『秋桜』

与謝野晶子も短歌に多く読んだ秋を代表する花、コスモス。それを漢字で「秋桜」と表記し一般化されるようになったのは、歌手・山口百恵さんが1977年10月1日に発売した『秋桜』の曲がヒットしてからのことでした。
翌日に結婚を控えた娘の母に対する心境が情感豊かに描写されたこの曲の作詞・作曲を手掛けたのは、歌手のさだまさしさんでした。ただ、このとき百恵さんは映画やドラマ、歌手として多忙を極めていた18歳。さださんが「百恵ちゃんにはピンとこない曲でしょ?」と聞くと「はい、実感がわかないんです。上手に歌えなくてすみません」と答えたそうです。しかし、その3年後の1980年10月5日。百恵さんはおよそ8年間の芸能生活を締めくくる引退コンサートを日本武道館で行います。翌月に結婚を控えてのことでした。そのコンサートが終わったあと、百恵さんはさださんにメッセージを伝え残します。
「さださんがこの曲(『秋桜』)を作ってくれた意味が、やっとわかる日が来ました。本当に、本当に、ありがとうございました。」
私たちは誰とも違う人生を、語り切れないほど様々な感情を抱きながら日々生きています。そんな感情の一端を、さださんは人生の節目を迎えんとするその人を例として“ウタ”に書き起こし、当時18歳の百恵さんへ贈りました。そこに描かれていたのは、どんなときも人は生かされ支えられながら育まれていくというあたりまえのようで、しかし忘れてはならない大切なこと。その存在なくして今の私はありえないという愛おしさを、さださんが私のために教えてくれていたのだろうとやがて気付かれ、ウタに重ね、深い実感とともに受け止められたのではないかと想像をするのです。
親鸞聖人は阿弥陀さまをほめたたえて実に多くの“言葉”を残してくださいました。そこに示されるのは、どんなときもこの命に寄り添い、命の奥底から支えんとする阿弥陀さまがましますということ。様々なご縁のなかでその意味を深く感じ受け止められるときがあなたにも必ずやってくるよと、私のために教えてくださってあります。
その親鸞聖人のご往生を縁とする「龍谷会」のご法要が15日、16日とここ大谷本廟でお勤まりになります。柔らかに揺れている秋桜がそうであるように、いつでも見まもり続けてくださっている阿弥陀さまのあたたかさを仰がせていただきます。
本願寺派布教使 渡辺 雅俊