『君の肩に悲しみが雪のように積もる夜には』
出典:浜田省吾『悲しみは雪のように』

空に舞う雪が美しく感じられる季節です。手のひらに降りた雪がすっと溶けていくその様子は、美しさとともに儚さをも教えてくれます。しかし、その雪が溶けることなく降り積もり続けたなら、どうなるでしょうか。雪の重みに耐えきれず、やがて家すらも押しつぶしてしまうかもしれません。
この雪を「悲しみ」に置き換えたなら、どうでしょうか。悲しみの雪が溶けることなく心に降り積もり続けたのなら、何も考えられず、何も手につかなくなってしまい、心が押し潰されてしまうのではないでしょうか。
1972年に生まれ、2018年に亡くなった一頭のゴリラがいます。名前は「ココ」。手話を使って人間と会話をしたことで知られています。生後まもなく人間の手によって育てられ、発達心理学の研究者であるフランシーヌ・パターソン博士から手話を教わりました。博士の研究によると2011年には、約2000もの手話を覚え、時には冗談を交えながら博士と会話を楽しんだといいます。
そんなココが、自分の誕生日のプレゼントに「子猫がほしい」とおねだりをしました。絵本で見た猫に興味を持ったのだそうです。博士はその願いを聞き入れ、子猫をプレゼントしました。ココはその子猫を大変かわいがり、大きな手で小さな体をやさしく撫でたり、一緒にお昼寝をしたりと、たくさんの愛情を注ぎました。
しかし、幸せな日々は長くは続きませんでした。子猫は不慮の事故で亡くなってしまったのです。その報告を受けたココは大きなショックを受け、「話したくない」と繰り返しながら、子猫への愛情や悲しみの言葉を手話で伝え、声を上げて泣き続けたといいます。
博士は、ココが「死」を理解しているのではないかと感じ、「ゴリラはいつ死ぬの?」と尋ねました。するとココは「歳を取り、病で死ぬ」と答え、さらに「死んだらどうなるの?」という問いには、「苦痛のない穴にさよなら」と答えたそうです。死を理解していたココ、その“死”とは、「さよなら」しかない悲しい別れだったのでしょう。子猫との死別の悲しみは、ココの心に静かに、しかし絶え間なく悲しみの雪を降らせ続けその心を押し潰していたのです。
私たちも、いつか大切な人と別れなければならない時が来ます。悲しみの雪がまったく降らない人生など、きっとないでしょう。時にはその雪に押しつぶされそうになることもあります。「あなたに降る悲しみの雪を止めることはできない。けれども、あなたがその雪で押しつぶされぬよう、あなたを抱く仏になりましょう。ともにお浄土へと歩む仏になりましょう。」と阿弥陀さまは南無阿弥陀仏の声の仏さまとなられました。阿弥陀さまにいだかれてお浄土へと参って往く命、それは「さよなら」のない命ということ。
「南無阿弥陀仏」のお念仏は悲しみの雪の中で立ち尽くす私たちを、静かに、あたたかく包み込んでくださる仏さまです。
本願寺派布教使 工藤 恭修