『受け止めきれないものと出会うたび 溢れてやまないのは涙だけ』
出典:米津玄師『Lemon』

私たちは生まれてきたからには、いつか必ず死を迎えなければなりません。出会ったからには、必ず別れを経験しなければなりません。そうしたことは頭では理解していても、実際に受け止められるかといえば、いかがでしょうか。特に、その別れが大切な方とのものであればあるほど、受け止めきれないのが私たちの姿ではないでしょうか。
先日、ある70代の女性とご法事をご一緒させていただきました。ご主人の七回忌のご法事でした。お勤めとご法話とが終わり、お茶をいただきながらお話していると、女性は突然言葉を止められました。そして、涙をこぼしながらご自身の思いを語ってくださいました。「ダメねぇ。主人が先立ってから6年も経つのに、まだ涙が出てくるの。お友達といる時や孫と電話をしている時は大丈夫なの。でも、夜一人になった時や、こうして主人のことを改めて思い返すと、今でも涙が出てきてしまうの。ダメよねぇ……」
みなさんはいかがでしょうか。似たような思いを抱いておられる方もいらっしゃるかもしれません。世間では「いつまでも悲しんではダメ」「前向きに生きていかなければいけない」と言われることもあります。たしかに、そのように生きられれば良いのでしょうが、頭ではわかっていても思うように生きられないのが私たちの姿です。涙を流しながらしか歩むことができない私たちの姿があります。
しかし阿弥陀さまは、「いつまでも悲しんではいけません」「強く明るく生きなさい」と仰るお方ではありませんでした。「そんな苦悩を抱えるあなたこそ救わずにはおれない。どんなあなたであっても救い、支えぬく仏と成る」と立ち上がってくださったのが阿弥陀さまです。大切な方との別れを悲しまずにはおれない私のために、阿弥陀さまは“また会える世界”、別れのない世界であるお浄土をご用意くださいました。お念仏をいただく私たちは、この命終わるとき、阿弥陀さまのおはたらき一つで、懐かしい方々の待つお浄土へ参らせていただく身に、すでに仕上げていただいているのです。
苦悩を抱え、涙を流しながらしか歩むことができない私の為にご用意された仏道が浄土真宗です。 その浄土真宗をあきらかにしてくださったお方が親鸞さまでありました。親鸞さまのご命日が今月16日。本願寺では9日から16日まで、親鸞さまのご命日をご縁とする御正忌報恩講法要が厳修されます。このご縁に、ぜひお参りいただき、ご一緒に阿弥陀さまのお心をお聞かせいただければと思います。
本願寺派布教使 正親 一宣