月々のことば(法話)

2026年2月

『梅一輪 一輪ほどの あたたかさ』

出典:服部嵐雪『遠のく』

 冬の寒さのただ中に身を置きながら、ふと、あたたかさを感じるときがあります。服部嵐雪は、一輪だけ咲いた寒梅を目にしたときに、ほのかでありながら、たしかな春の訪れを感じ、そのあたたかさを詠んだのでしょう。

 九年前の二月一日、祖母が往生いたしました。肌を刺す寒さに触れると、あの日の別れを思い出します。
 別れの悲しさの中に身を置きながら、ふと、あたたかさを感じるときがあります。懐かしい面影が心に浮かんだとき。かけてもらった言葉を思い出したとき。いただいたご恩に思いが及んだとき。そうした折々はもちろん、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を称え、そのお念仏の声を聞くときにも、私は、あたたかさを感じています。

 浄土真宗のご本尊である阿弥陀仏は、あるお誓いを建てられて、その実現のため、長く長くご修行を重ねられて、そのお誓いを成就された仏さまだと、お経に説かれています。それは、このようなお誓いでした。

「苦しみを抱えながら、それを自分の力では解決できない命に、安らぎを与えられる仏に、私は成る。修行をして、安らかな悟りの世界、浄土に生まれさせる力を具えた仏に、私は成る。その修行を成就した仏が、すでに至り届き、すでに抱きかかえているということを、『南無阿弥陀仏』という声となって知らせて、安心させる。そんな仏に、私は成る」

「南無阿弥陀仏」と仏さまのことをお呼びしたら、仏さまが来てくださるのではなくて、阿弥陀さまがすでに私に至り届き、そのぬくもりが届いているからこそ、この私の口から、一声のお念仏が花ひらきました。
 花が咲いたあとで、春が来るのではなくて、その逆で、春のぬくもりが先に届き、すでに届いていたからこそ、一輪の寒梅が花ひらいたのと同じように。

 そんなお念仏の声を聞くとき、あたたかさを感じるのです。身に沁みる寒さと寂しさにふるえる私に、ぬくもりと安らぎを与えようと、阿弥陀さまが今もここで、私を抱きかかえてくださっていると。

 さらに言えば、阿弥陀さまに抱かれてお浄土に生まれさせていただいたら、阿弥陀さまと同じお悟りの仏さまに成らせていただくのだとも、お経に説かれています。
 ということは、お浄土に往生されたお方は、仏さまと成って今ここに還り来て、阿弥陀さまと同じように、私を包んでくださっているのです。そんな祖母のぬくもりも、そんなほのかで、たしかな、あたたかさも、お念仏の響きの中で味わっています。

本願寺派布教使 若林唯人

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