月々のことば(法話)

2026年5月

『死ぬ稽古けいこをしなさい』

出典:本願寺派勧学 深川倫雄和上

「命を終えるのが、もう目前かもしれない、って聞いて、どう思った?」

「楽しみ」

 昨年の五月。父が往生する二日前に、ICUのベッドの上で、私の問いに答えた言葉です。なぜ父は「楽しみ」と言えたのか。往生の後、しばらく考えていたのですが、あるご法話をお聴聞したとき、「あの言葉の背景には、このことがあったのかもしれない」と思いに耽りました。そのご法話は、深川倫雄和上というお方が、あるご法座で、お参りの女性のご質問にこのようにお答えなさったとご紹介される内容でした。

「先生。お浄土に生まれさせていただくことは、ありがたいことだなと思うのですけど、だけどやっぱり、命を終えるのは、怖いとも思ってしまいます。どうしたら、心静かに、心穏やかに、命を終えていけるでしょう」
「何ごとにも、上達するには、稽古が必要ですからね。今晩から、死ぬ稽古をしなさい。いきなり、自分が死ぬ稽古をするのが難しければ、一つ前の段階として、これからも迎える大切なお方とのお別れの折に、どのような言葉をかけるか、考えなさい」

 私たちは、ついつい、「がんばって」と声をかけたくなりませんか。「生きているうちが華。死んだら終まい」という命の価値観しか持ち合わせていなければ、「がんばって。死なないで」という言葉をかけたくなってしまう。だけど、その病室の中におられる方の中で、一番がんばっておられるお方は、命を終えていかれるご本人ですね。一生涯、がんばってこられて、今は「もうこれ以上、がんばれない」というほど、がんばっておられる。そのお方に、さらに「がんばって」と言えば、つらく聞こえてしまうかもしれない。

「死んだら終まい」ではなくて、「阿弥陀さまに抱かれて、お浄土に生まれる」というお救いを聞かせていただいているお互いであるなら、「がんばって」と言いたくなる気持ちを飲み込んで、例えば、「ありがとう。あなたと出会えてよかった。一緒に時間を過ごせて、幸せだったわ。お世話になりました。先にお浄土に往って待っててね。私もすぐに参らせていただきます」と、お声がけするように稽古をしなさい。それが慣れてきたら、今度は自分が命を終えるとき、遺される方たちにどのような言葉をかけるか。どのような心持ちで最期を迎えるか、その稽古をしなさい──このようにおっしゃったそうです。

 父は若い頃から、深川和上のもとでもお育ていただいてきましたから、「死ぬ稽古」の話を和上から聞かせていただいていたのでしょう。父は往生の十日前、友人に送ったメールをこのように結んでいたことがわかりました。「お浄土が近づく日々。ナモアミダブツ。如来浄華衆 正覚華化生。浄華といふは、阿弥陀の仏になりたまひしときの華なり。その華座に生まれるのですね。楽しみです」。往生を間近に感じつつも、阿弥陀さまに抱かれた安心の中で、父なりの死ぬ稽古をしていたからこそ、ICUのベッドの上で、さらりと「楽しみ」という言葉が出てきたのだろうと思ったのです。

       布教研究専従職員 若林 唯人

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