『こころをばなににたとへん こころはあぢさゐの花』
出典:萩原朔太郎『こころ』

梅雨の時期に見頃を迎える紫陽花。雨に濡れながら、青や紫、薄紅色へと色を変えるため、別名「七変化」とも呼ばれます。しかしこれは、気まぐれに色を変えているわけではありません。紫陽花の色は、根を張った土壌の成分に反応して決まるのだそうです。つまり、自らの意志ではなく、置かれた環境をそのまま受け入れて色づいている、なんとも正直な花なのです。
冒頭の詩には、こう続きます。「ももいろに咲く日はあれど うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて」
人間の「心」もまた、紫陽花に似ています。華やかな桃色のように弾む日もあれば、淡い悲しみの薄紫色に染まり、どうしようもない切なさを抱える日もあります。周囲の影響を受けて移ろいゆく紫陽花の姿に、作者は人間の心の痛ましいほどの繊細さを重ねたのかもしれません。
心は目に見えませんが、私たちの「顔」や「表情」にそのまま表れます。間もなく2歳を迎える娘を見ながら、夫婦でこんな会話をしていました。
「最近、表情がはっきりしてきたね。これからどんな顔立ちになっていくのかな?」
すると、そばにいた私の母がこう言いました。
「それはこれから、どんな人に出会い、どんな環境で育ち、どんな言葉を浴びて生きていくかじゃないかな。優しい言葉に触れていれば優しい表情になるし、トゲのある言葉の中では、険しい顔つきになってしまうかもしれないね。」
まさにその通りだと思います。私たちの心も、出会う人や置かれた環境、聞こえてくる言葉によって、まるで紫陽花が土壌の成分を吸い上げるように、知らず知らずのうちに色を変えているのです。
だからこそ、何と出会い、何をよりどころにして生きていくのか。そのことが、人生という花の色を決めていくのではないでしょうか。
私たちは、有縁の方々の尊いお導きによって、阿弥陀如来のご本願に出遇わせていただきました。それは、環境によって七変化してしまう私たちの根底に「南無阿弥陀仏」という決して揺るがない豊かな土壌をいただいたということです。お念仏という土壌をいただいた上は、必ず「お浄土へ生まれ、仏さまと成る」という同じ花を咲かせることが約束されています。お念仏を申す中で、境遇や心の色の違いを超えて、同じ阿弥陀如来に抱かれた道を歩み、同じお浄土へと帰らせていただくのです。移ろい続ける私のままでいい。そのままで、すでに大いなる安心の中に身を置かせていただいている。そのことを深くよろこびたいものです。
今日もそれぞれの色を生きながら、同じお浄土を仰ぎ、ともにお念仏をよりどころとして歩んでまいりましょう。
本願寺派布教使 山﨑 弘純