月々のことば(法話)

2026年7月

『セミは、春と秋を知らない だから、夏も知らない』

出典:曇鸞大師『往生論註』※意訳

 セミは長い地中生活を経て地上に現れますが、それからの寿命はわずか一週間ほどと言われます。夏を精一杯に生きるセミの姿について、中国の僧・曇鸞大師は、このような言葉を残されています。「セミは夏しか生きられないため、春や秋の存在を知らない。では、春や秋を知らない虫が、本当に『夏』という季節を知っているだろうか。夏以外の季節があることを知っている者(人間)だからこそ初めて、『セミは夏しか生きられない』と言えるのだ」と。

 これはセミの話でありましたが、私たちを振り返ってみるとどうでしょう。私たちもまた自分の生きてきた人生、見ている世界しかわかりません。そんな私たちに阿弥陀様は、「あなたが命終わったとき、苦しみのないお浄土という世界に生まれさせる」と私のもとに至り届き、はたらきつづけておられます。そのようにお聞かせいただいても、「そんなお浄土という世界が、本当にあるんですか?」と、つい思ってしまいます。きっと夏しか生きることができないセミに「あなたが命終わった後には、あの緑の葉っぱが黄色く赤く染まる、秋という季節がやってくるんです。」と伝えても、「私が見たことのないそんな世界が本当にあるんですか?」と私たちと同じように思うのではないかと想像します。

 また、仏教では、「人生は苦である。人生は思い通りにならない。」とも説かれます。それを聞くと私たちは、「人生って苦しみばかりではない。楽しいこともあるよ。」とついつい言いたくなってしまいます。しかし、楽しいこともいつか終わりがやってきます。楽しい場所や関係を維持するために、他の人に嫌われたくないために、時には自分を守るために他者を傷つけ、誰にも言えない苦しみ、悩み、秘密、悲しみを心の奥底に押しとどめ、精一杯生きている。思い通りにならないのが私たちの人生であり、私たちのあり様だと、仏様は見通されたのです。

 限りなき命の仏様である阿弥陀様は、苦しみ多く、限りある命を生きる私たちのすべてをご覧になり、「苦しみや悩みを抱えて生きるあなただからこそ、救わずにはいられないんだよ」と、苦しみのない安らかなお浄土を建立されました。そして今「南無阿弥陀仏」という声となって、この身体にひびき、「必ずお浄土に生まれさせるから、安心なさい」と()びかけ続け、常に私とご一緒くださるのが阿弥陀様です。

 私の常識を横に置き、阿弥陀様のお喚び声を「真実」と聞き受けるとき、開かれる世界があります。「私は、むなしく命を終えていくのではない。懐かしいあの人たちが先に生まれていかれた同じお浄土に、私もまた阿弥陀様に抱かれて生まれさせていただくのだ。苦しみ多き人生であったが、お浄土に生まれゆく命であったということを、聞かせていただくための人生だったのだ。」と、来世と現世に深く充実した意味が与えられるのです。

 これからの暑い夏に、セミの鳴き声が聞こえてきたら、ご一緒にお念仏を称えませんか。そのお念仏の声を聞きながら、私たちの命の本当の意味を、仏様から聞かせていただきましょう。

本願寺派布教使 朋澤 融智

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