『忌心に叶ふ赤さや曼珠沙華』
出典:稲畑廣太郎『ホトトギス』

冒頭の俳句は俳人である稲畑廣太郎さんが詠まれたものです。「忌心」とは「いみごころ」と読み、不吉なもの、死をいまわしく思い遠ざける心の事です。それにかなうほどの赤さの曼珠沙華という意味の句です。曼珠沙華とは秋に咲く彼岸花の別称です。彼岸花は球根に強い毒性があり、不吉なイメージがあるとされてきました。そんな彼岸花が赤く咲いている様に死を忌み嫌う心を重ねて詠んでおられます。
確かに、死というのは怖いものであり、悲しいものでもあります。例えば、大切な方との別れを経験した時、何とも悲しく、やりきれない気持ちになります。そんな死を遠ざけたいと思う気持ちは人間の心情としては当然の事なのかもしれません。
では、浄土真宗ではその死というものをどんな風に受け止めるのでしょうか。
今月は九月、秋彼岸の月です。秋分の日という、太陽が真東から昇り、真西に沈んでいく、この日を中日とした前後三日間を合わせた七日間の事を秋彼岸と言います。「彼岸」とは、浄土真宗では阿弥陀様の浄土を意味します。阿弥陀様とは西の彼方に、浄土という悟りの世界を造られ、全ての命ある者を浄土に生まれさせるとおはたらきくださる仏様です。
浄土真宗の教えを大事にされた先人方は、お彼岸の時期に、西に沈みゆく太陽、夕焼けを見て、そこに阿弥陀様の浄土を重ねられました。そして、「亡き人は、死んでいく事を通じて、命のあり様と往く先、阿弥陀様の浄土を教えてくださったのだ。」そんな風に先立ってゆかれた方の事を偲ばれ、自分も浄土に参らせていただくのだと自身の命の往く先も見つめてこられたのです。
私はお彼岸の時期、先輩から教えられた事を思い出します。その先輩は、ある年におじいさまとおばあさまを続けて亡くされました。そんな中でお寺の門信徒の皆様に「昨年、祖父と祖母が続けてこの世の命を終えていきました。浄土真宗では、二人の死は忌むべきものでなく、阿弥陀様の浄土を教えてくださったのだと祖父、祖母の事を尊ばせていただきたいと思います。」この様な文面の挨拶状を出されたそうです。
大切な方との別れを経験する中で、亡き人は浄土を教えてくださったと尊んでいけるのが浄土真宗であった、この話を聞いて、大切な事を教えられた思いが致しました。
阿弥陀様は、人間は生まれたら必ず死にゆかねばならない、そのような存在だからこそ、どうにかして救いたいと願いを起こされ、お浄土をお造りくださいました。そして、「あなたは死んでゆく命ではありません。別れゆく命ではありません。お浄土へと生まれゆく命を生きているのです」と、私達一人一人におはたらきくださっています。その事を亡き人は自分の身をもって教えてくださったのです。
お互いに、お彼岸の時期には、大切な方を偲ばせていただきながら、西空の夕焼けに阿弥陀様の浄土を想っていきましょう。
本願寺派布教使 尺一 順大