『「まかせよ まかせよ」如来の声 「おまかせします」私の声』
出典:鈴木章子『癌告知のあとで』

近くのお寺の掲示板に書かれていた、この言葉が目にとまりました。後ほど調べてみると、47歳でご往生された真宗大谷派のお寺の坊守さま、鈴木章子さんが「南無阿弥陀仏」のお念仏のこころを味わってくださった言葉でした。
「南無阿弥陀仏」と称えれば、「南無阿弥陀仏」と聞こえてきますね。お念仏は、私が阿弥陀如来をお呼びする声であると同時に、阿弥陀如来が私に喚びかけてくださっている声でもあると、親鸞聖人はお示しくださいました。では、どのように喚びかけておられるのか。一言で言えば、「まかせよ、まかせよ」と喚びかけてくださっています。
「私にまかせなさい。命の往く先、私にまかせなさい。生涯、あなたのことを抱きつづけて、支えつづける。どのように命を生きようと、どのように命を終えようと、生き様も死に際も問わない。命を終えるとき、私が必ず、苦しみのない安らかなお浄土に、あなたを生まれさせるから、私に安心して身をまかせなさい」
その阿弥陀さまの喚びかけに、私たちはただただ、「おまかせします」と応える心持ちでお念仏を称えるのだと、この言葉は味わってくださっているのです。
この掲示板の言葉を私が見たのは、そのお寺のご住職さまのお葬儀の日のことでした。ご住職さまは、ふっくらとしたお方だったのですが、訃報を聞いてお悔やみに駆けつけ、白いお布団に横になられたお顔を拝見すると、頬がこけるほど痩せておられました。お葬儀のお勤めの後、喪主挨拶の折に、ご往生されるまでの経緯をお話しくださいました。
「ご多用の中、父のお葬儀にお参りくださり、誠にありがとうございました。昨年から体の不調が続いておりまして、病院で検査をしていただくと、末期の膵臓癌だということがわかりました。父は抗癌剤の治療に前向きでしたが、効果があらわれず、途中から緩和ケアに移行しました。病院で過ごすよりも、自宅で家族と一緒に過ごしたい。ご門徒さまとの時間を大切にしたいと、最後まで自宅で、お寺で、過ごさせていただきました」
「先月のお寺の定例法座で、『今、味わっているお念仏のこころを、ご門徒の皆さまにお伝えしたい』と、無理を押して最後のご法話をしてくれました。父よりも先にお浄土に往生されたご門徒さまのことを懐かしそうにお話しした後で、覚如上人の『執持鈔』の次のお言葉を、大切に味わってくれました。『往生ほどの一大事、凡夫のはからふべきことにあらず。ひとすぢに如来にまかせたてまつるべし』という言葉です。……」
上記の掲示板の言葉を選ばれたのは、ご住職さまご本人だったと後でお聞きしました。癌が進行し、だんだんと自分で自分を支えることすら難しくなってくる。その私を、阿弥陀さまが今もここで、抱きかかえ、お支えくださっている。そして「私にまかせなさい。あなたも必ず浄土に生まれさせる。安心なさい」と喚びかけてくださっている。お念仏の先輩の鈴木章子さんがそうであったように、お念仏を称え、お念仏を聞きながら、安心の中で、最後の日々を過ごされていたのではないかと、思いが巡りました。
遺された私たちも、いずれ必ず、今度は自分が命を終えるときを迎えなければなりません。その私に、阿弥陀さまは「私にまかせなさい。命の往く先、私にまかせなさい。同じお浄土に、あなたも必ず生まれさせるから、私に安心して身をまかせなさい」と喚びかけてくださっています。私たちも「はい、おまかせいたします」との思いで、お念仏を称えさせていただきましょう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
本願寺派布教使 若林唯人