令和7年 春季彼岸会「不可思議」
「不可思議」の花文字は、ご開山親鸞聖人がお書きになられた『正信念仏偈』の最初の二句『帰命無量寿如来 南無不可思議光』(無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる)の中からいただきました。この『正信念仏偈』は『正信偈』とも言い、浄土真宗においては、法事や法要、また日々のお勤めで大切にとなえられています。
親鸞聖人は、この最初の二句『帰命無量寿如来 南無不可思議光』において、私のいのちの拠り所は阿弥陀如来でありますという自身のお喜びのお心を示されています。
「無量寿如来」「不可思議光(如来)」とは、どちらも浄土真宗のご本尊「阿弥陀如来」のことであり、それぞれに阿弥陀如来という仏さまのはたらきを表した言葉です。
無量寿の無量とは、はかることのできないという意味です。そして寿とはいのちという意味なので、無量寿とは、はかることのできないいのち・長い時間ということを表しています。この無量寿如来という言葉が表しているのは、阿弥陀如来という仏さまが、過去・現在・未来と、悩み苦しむすべてのものを救わずにはおれないと、哀れみの心を抱き、願い続け、今現に救おうとはたらき続けておられるという「慈悲」のお姿です。
次に不可思議光の不可思議とは、私たちが普段使う「不思議」と同じ意味です。よって不可思議光も同じように言葉で表したり、思いはかることができない光という意味です。この不可思議光如来という言葉は、阿弥陀如来さまが、思いはかることのできないほどの光のはたらきをもって、あらゆるものをくまなく照らして、この私がどこにいても必ず至り届いてくださるという「智慧」のお姿を表してくださっています。
そして、無量寿(慈悲)のはたらきと、不可思議光(智慧)のはたらきが「南無阿弥陀仏」の六字の名号となって「われにまかせよ そのまま救う」と、まさに今、私たちに至り届き、はたらき続けてくださっています。私たちは親鸞聖人が『帰命無量寿如来 南無不可思議光』といただかれたように、この南無阿弥陀仏のお念仏を「ありがとうございます」と素直に受け止め、いただくばかりです。
合 掌

